けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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ああ、いかんいかん。どうも否定的で。
ここんとこ、抽象的な話が続いているのは、ひとえに思考モードだから。
内向的と言い換えてもいい。
計ったことはないけど、周期的にこういう時間は訪れる。
「そろそろこもっとくかー」みたいな気分なんだろう。
しかし、否定的なニュアンスのことを考えたり発言したりしている時というのは、要するにジレンマの真っ最中だと言い換えていい。
否定の意思が芽生えるのを感じる時というのは、それをどうすれば解消できるのかという命題への意欲が同時多発的に湧き出るからである。
僕にとって、「否定」と「問題解決への態度」はイコールで結んでいいものだ。
「ちっくしょー、あのヤロウ、クソむかつくぜ」
ってなことを感じる時というのは裏を返すと、
「うーん、あの人とうまく付き合うにはどうしたらいいのかな」
あるいは、
「うーん、どうすればあの人の悪いところを直せるんだろうか」
という風に考えている時なのである。
また、
「こんなゴミ同然の文章じゃダメだ!」
と思う時には既に、
「なにゆえ僕はこの文章を書くに至ってしまったのか分析しておこう」だとか、
「一つ上のステージへ行くためにはどうしたらいいんだろうね」
といったことを考えているのである。
本当にほぼ同時なのだ。
僕にとってこうした作用はとても自然なことで、そのせいで含みのある風の言い方になることが多い気もする。
接する周りからしても「すっきりしない態度」と感じる場面があるだろうが、僕自身もまた相当にすっきりしていない状況なので勘弁いただきたい。
このマルチスレッド的な思考がいつ頃から始まったか覚えていないけれど、小学校5年の春に「今年の目標」に「物事を否定して考えてみる」なんて書くめんどくさいガキんちょだった僕なので、まあ昔からそんなんだったんだろう。
自覚したのがいつかは、やっぱりわからないけど。
もはや性分だからうまく使いこなすとして、さてこれが人様に悪影響を与えないようにすることくらいは、しなやかに達成したいものだね。
○GD作業状況
今までに僕が書いた小説には、思考をあまりにも直接的に盛り込みすぎた気配がある。
しかも抽象的なやつ。そんなものじゃどうやら人には伝わらない。
もっともっと丁寧かつ大胆に。
ここんとこ、抽象的な話が続いているのは、ひとえに思考モードだから。
内向的と言い換えてもいい。
計ったことはないけど、周期的にこういう時間は訪れる。
「そろそろこもっとくかー」みたいな気分なんだろう。
しかし、否定的なニュアンスのことを考えたり発言したりしている時というのは、要するにジレンマの真っ最中だと言い換えていい。
否定の意思が芽生えるのを感じる時というのは、それをどうすれば解消できるのかという命題への意欲が同時多発的に湧き出るからである。
僕にとって、「否定」と「問題解決への態度」はイコールで結んでいいものだ。
「ちっくしょー、あのヤロウ、クソむかつくぜ」
ってなことを感じる時というのは裏を返すと、
「うーん、あの人とうまく付き合うにはどうしたらいいのかな」
あるいは、
「うーん、どうすればあの人の悪いところを直せるんだろうか」
という風に考えている時なのである。
また、
「こんなゴミ同然の文章じゃダメだ!」
と思う時には既に、
「なにゆえ僕はこの文章を書くに至ってしまったのか分析しておこう」だとか、
「一つ上のステージへ行くためにはどうしたらいいんだろうね」
といったことを考えているのである。
本当にほぼ同時なのだ。
僕にとってこうした作用はとても自然なことで、そのせいで含みのある風の言い方になることが多い気もする。
接する周りからしても「すっきりしない態度」と感じる場面があるだろうが、僕自身もまた相当にすっきりしていない状況なので勘弁いただきたい。
このマルチスレッド的な思考がいつ頃から始まったか覚えていないけれど、小学校5年の春に「今年の目標」に「物事を否定して考えてみる」なんて書くめんどくさいガキんちょだった僕なので、まあ昔からそんなんだったんだろう。
自覚したのがいつかは、やっぱりわからないけど。
もはや性分だからうまく使いこなすとして、さてこれが人様に悪影響を与えないようにすることくらいは、しなやかに達成したいものだね。
○GD作業状況
今までに僕が書いた小説には、思考をあまりにも直接的に盛り込みすぎた気配がある。
しかも抽象的なやつ。そんなものじゃどうやら人には伝わらない。
もっともっと丁寧かつ大胆に。
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