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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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「憧れの人」と「競える隣人」は両方必要だ。

そうした人たちとの関係性の中で、距離感の掌握や差の認識を繰り返すことで、自分の立ち位置や振る舞いを見直し、考えることができる。
これが、アイデンティティとやらをうまいこと形成していくのにとても役に立つ。
学生時代に形作ったそれは確かに大事だが、更新を死ぬまで続けることだって必要だ。

「憧れの人」をうまく見出せない人は、伸び悩みを自覚しながらもなんとかやっていこうと奮闘するだろう。
「競える隣人」をうまく作れない人は、ふらつく足に自制を働かせるために労力を費やしてしまうだろう。


一応断っておくと、これらを「先輩」と「同期」に置き換える必要はない。

例えばこういうことである。
僕の現在のパワーが100だとしよう。
僕の10コ上の人がパワー120(のように見える)としたら、10年後の自分としては少なくとも毎年2ずつパワーを蓄えていけば同等で、2なんて数字は目標になんぞならないから毎年5ずつ伸ばす気でいくなら、その人は「目標」たり得ない。
せいぜい、今盗めそうなものを盗んで1でも多くパワーを伸ばす材料にしかならないに違いない。

ある人の現在のパワーが60だからといって、「競える隣人」にならないとは限らない。
伸び率が同じなら、得られる景色の見え方が似てくるからである。
その意味で、「競える隣人」は「同期」である必要はない。


うーん、なんだかとりとめのない話になってきてしまった。
要するに僕には、「コレだ!」という「憧れの人」の姿が今はなく、「競える隣人」の存在もなんだか危うい気がしてきているのである。
これは稼業のゲーム作りで顕著であるが、他の大抵のことでも同様である。
遠いところにそういう対象がいても、それを相手取るのはなかなかに難しい。
だったら、いそうなところに行くか、自分がそれになるかしかない。


多くのすこやかな物語は、ヒーローが、ないしヒーロー予備軍が、ヒーロー像を胸に抱きながらライバルとの競争を繰り返してヒーローになっていくものだから、健全でありたいなら、自分にもそんな神話を適用して行動してみるのがきっと手っ取り早い。

僕はヒーローになりたいのだ。
平たく言やぁ、そういうことなんである。


○GD作業状況
魅力的な先達の存在が将来の彼女たちを輝かせるに違いない、と思い込んで先輩キャラクターをずいぶん前に創出こそしたものの、いい落とし所を見出せていない。
どうすりゃいいかなー。
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