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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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○侍戦隊シンケンジャー
・烏賊冷凍! 槍烏賊一閃! ……その笑えるネーミングセンス。
・次週は一回休み、と。

○仮面ライダーディケイド
・ハンパないダサさ! それがコンプリートフォーム。
・ケータッチって名称に親近感が湧くのは仕方のないことです。
・しかし、なつみかんが持っていたのはなんでだ。
ちょっと強化フォームの登場に必然性がなさ過ぎるかなあ。

○フレッシュプリキュア
赤:青:黄:紫=1:1:4:4
・わかりやすいけど、疲労困憊の描写はきつ過ぎる気がしないでもない。
・今日の戦闘描写は、3人ともスカートとして作画されていたところが結構あったような。
しかもはいていないものとして。
・イース、歩いて帰るんだ……(笑)
・そしてついにキュアパッションが。


○GD作業状況
お絵描きばかり。

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GLAYのベスト盤が出た。

THE GREAT VACATION VOL.1~SUPER BEST OF GLAY~【通常盤】 THE GREAT VACATION VOL.1~SUPER BEST OF GLAY~(初回限定盤A)(DVD付) THE GREAT VACATION VOL.1~SUPER BEST OF GLAY~(初回限定盤B)(DVD付)
左から通常版、初回特典A、初回特典B。

またかと言うなかれ。
CD3枚組で全43曲中18曲が既存のアルバムには未収録、ないし新曲。
他のベスト盤とだけ比較しても、曲の重複は7曲しかない。
ちなみに一番古い曲は再録版の「誘惑」。比較的新しめの曲が多い。アルバムで言うと「ONE LOVE」以降。
そういう感じで、お得感のほどは十分。
僕は真ん中のミュージッククリップ付きを購入したので、5000円ほど。

結局僕にとっては、GLAYこそが最も愛するミュージシャンなのだ。
何も音楽そのものに限った評価や判断ではない。
ミュージシャンの価値は、その人のスタンスや姿勢、ビジュアルから何から、すべてをひっくるめてのものだから。
憧れの対象として、(今のところ一方的な)ライバル心を掻き立てられる相手として、最も自然に意識できるのが僕にとっては彼らなのだ。
この真意はかなり噛み砕かないと正しく理解してもらえない気はするが、僕にすれば揺るぎない事実を言葉にしているだけなので、語弊は恐れない。

思えば中学2年の秋頃から聴き始めて、かれこれ12年近い付き合いになるらしい。
この中で「GLAYなんてよー、あまっちょちょろいぜー」みたいに思っていた時期も少しはあったし、関心の一番手ではない時期もたくさんあったけど、一巡してここにきた。

新曲を耳にする度にそのメッセージ性や織り込まれた気分に強く引っ張られる。
時代性とそれに対するスタンスや気分を共有できる何かというのは、それだけでおそろしく貴重だ。
特にここ2、3年はシンクロすらする場面が見られるようになってきた。
僕が彼らに共感しているのではない。
そういうことではなく、たまたま僕が思っていたことを彼らが音楽に乗せていて、呼応した、という感じになることがあるのだ。

(ライブ会場とかはともかく)彼らと顔を合わせたことはないし、言葉を交わしたことだってないけれど、10年以上かけて築き上げてきた関係性に違いはない。
僕の辿ってきた道筋が違っていたら別離があったかもしれないんだから、これは相当にすごいことなのだ。
ましてや、「あの頃のGLAYは良かった」というような所感を抱かせない辺りに彼らの実力や成長と気概を感じるから、きっと10年後だってこのまま付き合い続けているだろう。

そんなわけだから、僕が好いていることを理由にして人に勧めることはしない。
長い時間をかけて作ってきた関係性を説明したって、あんまり意味がないからだ。
まあでも、興味があるなら曲目を見るくらいはしてほしいかなあ、とは思う。
通常版は価格も3900円とやや安めだしね。

○GD作業状況
書いた量だけで言うと、通算で文庫本1冊半分くらいは書いているらしい。
初期の頃に、女子高生の生活を想像しながら試し書きしたものがけっこうな量あるもんで。
改めて見返してみると、今よりも観察に注力していたことが見て取れるので、そのまま使うことは永久にないと思うけど、エッセンスは採取できそうだ。

一つ目標ができた。
人に誇ってもよさそうなものをしっかり作ることができたら、今度は僕が彼らに影響を与える番だ。




「憧れの人」と「競える隣人」は両方必要だ。

そうした人たちとの関係性の中で、距離感の掌握や差の認識を繰り返すことで、自分の立ち位置や振る舞いを見直し、考えることができる。
これが、アイデンティティとやらをうまいこと形成していくのにとても役に立つ。
学生時代に形作ったそれは確かに大事だが、更新を死ぬまで続けることだって必要だ。

「憧れの人」をうまく見出せない人は、伸び悩みを自覚しながらもなんとかやっていこうと奮闘するだろう。
「競える隣人」をうまく作れない人は、ふらつく足に自制を働かせるために労力を費やしてしまうだろう。


一応断っておくと、これらを「先輩」と「同期」に置き換える必要はない。

例えばこういうことである。
僕の現在のパワーが100だとしよう。
僕の10コ上の人がパワー120(のように見える)としたら、10年後の自分としては少なくとも毎年2ずつパワーを蓄えていけば同等で、2なんて数字は目標になんぞならないから毎年5ずつ伸ばす気でいくなら、その人は「目標」たり得ない。
せいぜい、今盗めそうなものを盗んで1でも多くパワーを伸ばす材料にしかならないに違いない。

ある人の現在のパワーが60だからといって、「競える隣人」にならないとは限らない。
伸び率が同じなら、得られる景色の見え方が似てくるからである。
その意味で、「競える隣人」は「同期」である必要はない。


うーん、なんだかとりとめのない話になってきてしまった。
要するに僕には、「コレだ!」という「憧れの人」の姿が今はなく、「競える隣人」の存在もなんだか危うい気がしてきているのである。
これは稼業のゲーム作りで顕著であるが、他の大抵のことでも同様である。
遠いところにそういう対象がいても、それを相手取るのはなかなかに難しい。
だったら、いそうなところに行くか、自分がそれになるかしかない。


多くのすこやかな物語は、ヒーローが、ないしヒーロー予備軍が、ヒーロー像を胸に抱きながらライバルとの競争を繰り返してヒーローになっていくものだから、健全でありたいなら、自分にもそんな神話を適用して行動してみるのがきっと手っ取り早い。

僕はヒーローになりたいのだ。
平たく言やぁ、そういうことなんである。


○GD作業状況
魅力的な先達の存在が将来の彼女たちを輝かせるに違いない、と思い込んで先輩キャラクターをずいぶん前に創出こそしたものの、いい落とし所を見出せていない。
どうすりゃいいかなー。



昨日は第5回テーブルゲームで遊ぶ会。
参加者たちもだいぶ慣れてきており、ほっといても成立するような感じになってきた。
やはりサプライズ的なものを投入したくなってきた。
いつも通りの予定調和はイヤ。

飲み会の後に行ったビールバーは悪くなかった。


○侍戦隊シンケンジャー
・なんだこりゃ! の一言。
・ゴーオンの時もそうだったけど、金銀は他と並んだ時に悪目立ちするから好かんなあ。
・しかし、スシにするならカジキは避けといた方がよかったんじゃ。

○仮面ライダーディケイド
・闇の世界。ちょっと展開のとらえどころのなさが目立つ。
・カードの力が失われた時の正座っぷりが。
・ついにあのトンデモフォームが……!

○フレッシュプリキュア
赤:青:黄:紫=1:1:4:4
・ダンスの練習がスクワットしてるだけに見える。
・制服が3人とも夏服になっているね。
・イースがナケワメーケを強化する時の動画、他と力の入り具合にもーんのすごい差が……
というか、イースの作画だけ他よりクオリティが高くてだな……


○GD作業状況
ここ最近描いていたヒロイン二人のイメージが大体固まった。
というわけで、二人の絵を公開してみる。
AY_FACE5fca8e20.jpg
ちょっとシルエットが似すぎた気がしなくもないが、おおむね気に入っている。
本当は先に小説があって、それから絵を見せるべきだけど、なかなか書き上がらないからなあ。

↓はおまけ。
以前のウェブサイトでやっていたディフォルメアイコン風のらくがき。
まあでも、記号性の確認にはなるから。
AY_MINIWM_MINI

よかったら感想ください。



ああ、いかんいかん。どうも否定的で。

ここんとこ、抽象的な話が続いているのは、ひとえに思考モードだから。
内向的と言い換えてもいい。
計ったことはないけど、周期的にこういう時間は訪れる。
「そろそろこもっとくかー」みたいな気分なんだろう。

しかし、否定的なニュアンスのことを考えたり発言したりしている時というのは、要するにジレンマの真っ最中だと言い換えていい。
否定の意思が芽生えるのを感じる時というのは、それをどうすれば解消できるのかという命題への意欲が同時多発的に湧き出るからである。
僕にとって、「否定」と「問題解決への態度」はイコールで結んでいいものだ。

「ちっくしょー、あのヤロウ、クソむかつくぜ」
ってなことを感じる時というのは裏を返すと、
「うーん、あの人とうまく付き合うにはどうしたらいいのかな」
あるいは、
「うーん、どうすればあの人の悪いところを直せるんだろうか」
という風に考えている時なのである。

また、
「こんなゴミ同然の文章じゃダメだ!」
と思う時には既に、
「なにゆえ僕はこの文章を書くに至ってしまったのか分析しておこう」だとか、
「一つ上のステージへ行くためにはどうしたらいいんだろうね」
といったことを考えているのである。

本当にほぼ同時なのだ。
僕にとってこうした作用はとても自然なことで、そのせいで含みのある風の言い方になることが多い気もする。
接する周りからしても「すっきりしない態度」と感じる場面があるだろうが、僕自身もまた相当にすっきりしていない状況なので勘弁いただきたい。

このマルチスレッド的な思考がいつ頃から始まったか覚えていないけれど、小学校5年の春に「今年の目標」に「物事を否定して考えてみる」なんて書くめんどくさいガキんちょだった僕なので、まあ昔からそんなんだったんだろう。
自覚したのがいつかは、やっぱりわからないけど。

もはや性分だからうまく使いこなすとして、さてこれが人様に悪影響を与えないようにすることくらいは、しなやかに達成したいものだね。


○GD作業状況
今までに僕が書いた小説には、思考をあまりにも直接的に盛り込みすぎた気配がある。
しかも抽象的なやつ。そんなものじゃどうやら人には伝わらない。
もっともっと丁寧かつ大胆に。



稼業の話でもしますかね。

E3という奴が昨日から明日にかけてロサンゼルスで行われている。
世界版東京ゲームショウだとでも思ってくれればちょうどいい。
詳しいことはリンク先の記事を読んでもらうとして、大きい発表のそれぞれに対する僕の所感をまとめておくとしよう。

○MS
MS Media Briefing
プロモーションムービー
「Project Natal」なるデバイスの紹介がダントツで衝撃。
類似品としてPSのEye-Toyなんかが思い出されるが、どうやら次元の違うデバイスであると言えそうだ。
PCとの連動ができれば障害者補助や教育資材としての有用性はすぐに証明できそうだし、提供される価格帯にもよるがWiiとは違ったチャンスがありそうだ。
もっとも、それをうまく導く資質をMicroSoftが示すかどうかは未知数だから、諸手を挙げては喜べないだろう。
身体を使った遊びはすぐに底をつきそうな気がするので、従来のコントローラーとの二刀流なんかはどうだろうね。
音声認識デバイスの栄枯盛衰は見ていて悲しくなるほどだけど、通常のコントローラーで操作をしながら、身体の動きや音声認識も併用するのは、バランス感覚次第でいい刺激を与えてくれそうな気がするんだが。
まあ、なんにしても作る側から言えるのは仕様次第、というところだろうか。

○SCE
PSP Go
「PSP Go」というPSPの新バージョンが発表されたものの、ソフト購入がDLのみとなりそうなので、SCEのバックアップ次第過ぎて現状ではなんとも言えない。
とりあえず価格が\26,800と高めで、PSPとの互換性もないことだし、新し物好きとかハードオタク以外からは様子見されそうなハード。
僕も今のところ魅力はまったく感じない。
どっちかって言うと、現行のPSP開発ラインにとっては余計な手間が増える話でしかないので、気分の面では憂うつに傾く話題だ。


しかし、「FFXIV」って、なんかもうよくわからないよね。
さんざん指摘されてきたことだけど、「FFXV」はまだいいとして、「FFXVI」「FFXVII」「FFXVII」「FFXIX」「FFXX」と18や19あたりはかなりのカオス。

○Nintendo
Nintendo Media Briefing
新インターフェイス「Wii Vitality Sensor」は要するに「脈センサー」。
Wiiリモコン同様の及第点的な精度で、開発者のセンスを問うようなものになるんだろう。
もっとも、「バランスWiiボード」も任天堂以外にはまったくと言っていいほど無縁な代物なので、これもそうなるんだろうな。
既に発表済みの「Wii Motion Plus」は要するにWiiリモコンに積んだのと同じようなジャイロが入っているアタッチメントだったけど、これも任天堂的にイノベーションの突破をするような柔軟性や野心のある人間・企業じゃないと結局使わなそうだし、とっくにわかっていたことだけど、これまでのゲーム製作技法に乗っかっているようじゃ扱えそうにない。

ソフト紹介
プロモーションムービー
発表されたソフトたちは、相変わらず面白そうなのでさすが。


ざっとこんな感じ。あと一日あるけど、ビッグニュースは打ち終わりな気がする。
期待していたPS3の値下げや新型モデルは結局なかったし、やっぱり一番大きいのはMSのNatalかなあ。


○GD作業状況
女子高生的文化の創出を色々試みているけれど、本当にそれが女子高生的かどうかが僕の女子高生観とか時代の空気の感じ方を如実に表すことになるから、外れていたらとってもイヤン。




絵の話。

中学1年の時だったろうか。
絵を描くことの必要性を感じたのは。
どこぞのオタクとK村というのと親しくしている辺りから、急速にその必要性を感じるようになった。
K村は感性に任せて描く「クラスに一人はいるなんとなく絵のうまい奴」だった。
どこぞのオタクはへったくそながらもなんだか滑稽なほど懸命に描いている奴だった。
僕はそれまで描いていなかったけれど、「ああ、描かないわけにはいかないんだな」という風に思ったことを覚えている。
今見ると、この頃の絵にはある種の必死さがあって、僕は目を覆いたくなったりはほとんどせず、ひたすら懐かしくうらやましく感じる。

中学2年~高校1年。
その延長線上で描き続けていた。
この頃の絵にはなんか歪みがある。背伸びしようとしている感じ。

高校2~3年。
Reaperという小説をネット連載しよう、という話を仲間内で始めた時、絵があるとないとでは訴求力が違う、と思った。
しかし、周りに頼むという発想は僕にはなく、僕が描くしかない、と思い込んだ。
この時期、写真模写で顔ばかりを描いていた。
デッサンのデの字も理屈の上では知らなかったけど、この頃自然と学習したことが今でも残っている。
ちゅーか、僕の絵に対する財産はこの時がピーク。
この頃の絵は背伸びばかりだった一昔前のものから、少し見れるものに近づいている。

専門学校時代。
周りに僕より描ける奴はもちろんいたけれど、「キャラクターデザイン」の能力だけに限って言えば、そんなに負けていないような気がしていた。
だって、他の連中は人物造形のなんたるかを考えていないようだったから。
そんなわけで、画力はないけど自信はおもむろにある、という状況になった。

現在。
観察力が昔に比べて増したからか。
しばらく描いていなかったのに、最近描いた絵は昔のものより上手い。
もちろん、僕より上手い人はいくらだっているけれど、僕よりも僕の好きな絵を描ける人はあんまりいない。
溢れる自己愛、ばかりでもない。最低限の価値はあるわけだから。

画力の不足だとかセンスの欠落だとかを目の当たりにしてクサることもあるだろうけど、そんな具合に積み上げた経験や修練の成果がふとした拍子に結び付くことがある。
それは人目につかない飛躍の機会になって、そこでうまく弾みをつけられるとなんかこうブレイクスルー。
その気付きが間違っていると瓦解して自信喪失やなんかにつながるけど、瓦礫の山は土地を豊かにしたりもするから気にせずにまた積めばいい。

仕事にできるくらいの絵に対する理解やセンスや技術を持っていなきゃなあ、と僕は思っている。
そんくらいはできんだろう、と。


○GD作業状況
ここのところ二人のヒロインの絵を描いているが、片方のイメージが固まりきらない。
固まらないというより、絵に落とし込むことができない、という感じ。
こういうジレンマがあると僕は必ずブレにつながってしまうので、正す必要アリ。



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