けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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うちの父ちゃんに心配されたので。
引越しをやってネット環境を整えていなかったり、会社で記事作成するのがはばかられたり、行き帰りの電車で最近PCを使っていないからそもそも記事作成自体をしていなかったり、といったことが更新が半月ばかりなかった理由なのだが、まあそんなことはどうでもいいっすね。
激動の2週間あまりだったとだけ書き記しておく。
話題変わって、TGPのこと。
参加したことのない人のためにまずはざっくり説明する。
「TGP」は「テーブルゲームの会(Table Game Party)」の略で、その名の通り卓上でアナログゲームを遊ぶ同好会である。
「カタン」や「スコットランドヤード」や「マンハッタン」、最近勢いのある「ドミニオン」なんかを、平均11.5人が貸し会議室にかれこれ6時間ほどこもって触れる、インドアな、部活的催しだ。
遊び終えると、さらに4時間くらい飲み会をやる。
実に半日、遊び通しである。
余談だが、名前は「卓上遊戯部」とどっちにするか迷った。
WHOとかに匹敵しそうな雰囲気でTGPにしといて良かったと思う。
なんでこんなものを主催するに至ったかと言えば、まあ色々と理由はあるのだけど、最たる動機は「自分中心で社交場を作ろう」というものだ。
とりあえずは僕の友人知人に声をかけて基礎を形成し、そのうちみんなが僕の知らない人を連れてきてくんねーかなー、という下心からである。
ついでの思惑は今ひとつ達成されていない感があるけど、僕の予定がつかずにたじろいでいたりすると、「次はいつやんの?」といった催促が来るくらいにはみんなの生活の中の一つの出来事として馴染んできているようで、1月に1回集まる口実としてはおおむね良好に機能しているようだから、成功と言っていいんだろう。
ここからはまったく個人的な話であるが。
僕は、駆け引きが好きである。
何もゲームの上だけのことではない。
生活のそこかしこにある「やりとり」にある「駆け引きめいた意志の交錯」が楽しいと感じるのである。
真正面から歩いてくる人と、「どちらがどのタイミングで避けるか」とか、人と話していて、「いかに自分に都合の良い条件を相手に呑ませるか」とかね。
さて、僕の稼業はビデオゲーム製作なわけだけど、テーブルゲームとの間にある大きな差は、この「駆け引き」があるかどうか。この一点に尽きる。
のめり込めるほどの「駆け引き」を実現するには、ある条件が満たされなければならない。
相対する者同士が、相手の熱気や存在感を認識し合うことだ。
相手の一挙手一投足一言一句から、勝ちに向かう欲、成功へのもがき、ミスへの恐怖を見てとり、自分の成功に目を向け、失敗への恐怖を克服する行為だ。
コンピューターとの駆け引きがなかなか熱量を帯びにくい一番の要因は、ミスへの緊張が奴らにはないからだろう。
(余談だが、そういう部分の実現につっ込んでいこうとしているビデオゲームクリエイターは少なからずいるが、それの実現は異様に難しい)
アナログゲームはとても手間がかかる。
人と一緒に遊ぶには体ごと移動して落ち合う必要があるし、机とイスを並べる必要があるし、ボードを広げたりカードを配ったりする必要があるし、人としゃべる必要がある。
しかし、その労苦をかけることでなんとも簡単に手に入る肉感があり、圧倒的な情報量を誇る。
ゲームデザインがするのは、その情報量を使えよ、使いどころはここだぞ、とささやきかけることなのである。
ゲームというのは、人が遊んで初めて完結しうるものだから、その研究をするためには、それを実感するのには、そうした「駆け引き」の場を「駆け引きのツール」たるゲームを主軸に据えて作るのが手っ取り早かろう。
言葉にまとめたのは初めてだけど、こうした感触自体は遥か昔からあった。
それを実行に移してみたのが、1年と2ヶ月ほど前になってからだった、ということなのだ。
引越しをやってネット環境を整えていなかったり、会社で記事作成するのがはばかられたり、行き帰りの電車で最近PCを使っていないからそもそも記事作成自体をしていなかったり、といったことが更新が半月ばかりなかった理由なのだが、まあそんなことはどうでもいいっすね。
激動の2週間あまりだったとだけ書き記しておく。
話題変わって、TGPのこと。
参加したことのない人のためにまずはざっくり説明する。
「TGP」は「テーブルゲームの会(Table Game Party)」の略で、その名の通り卓上でアナログゲームを遊ぶ同好会である。
「カタン」や「スコットランドヤード」や「マンハッタン」、最近勢いのある「ドミニオン」なんかを、平均11.5人が貸し会議室にかれこれ6時間ほどこもって触れる、インドアな、部活的催しだ。
遊び終えると、さらに4時間くらい飲み会をやる。
実に半日、遊び通しである。
余談だが、名前は「卓上遊戯部」とどっちにするか迷った。
WHOとかに匹敵しそうな雰囲気でTGPにしといて良かったと思う。
なんでこんなものを主催するに至ったかと言えば、まあ色々と理由はあるのだけど、最たる動機は「自分中心で社交場を作ろう」というものだ。
とりあえずは僕の友人知人に声をかけて基礎を形成し、そのうちみんなが僕の知らない人を連れてきてくんねーかなー、という下心からである。
ついでの思惑は今ひとつ達成されていない感があるけど、僕の予定がつかずにたじろいでいたりすると、「次はいつやんの?」といった催促が来るくらいにはみんなの生活の中の一つの出来事として馴染んできているようで、1月に1回集まる口実としてはおおむね良好に機能しているようだから、成功と言っていいんだろう。
ここからはまったく個人的な話であるが。
僕は、駆け引きが好きである。
何もゲームの上だけのことではない。
生活のそこかしこにある「やりとり」にある「駆け引きめいた意志の交錯」が楽しいと感じるのである。
真正面から歩いてくる人と、「どちらがどのタイミングで避けるか」とか、人と話していて、「いかに自分に都合の良い条件を相手に呑ませるか」とかね。
さて、僕の稼業はビデオゲーム製作なわけだけど、テーブルゲームとの間にある大きな差は、この「駆け引き」があるかどうか。この一点に尽きる。
のめり込めるほどの「駆け引き」を実現するには、ある条件が満たされなければならない。
相対する者同士が、相手の熱気や存在感を認識し合うことだ。
相手の一挙手一投足一言一句から、勝ちに向かう欲、成功へのもがき、ミスへの恐怖を見てとり、自分の成功に目を向け、失敗への恐怖を克服する行為だ。
コンピューターとの駆け引きがなかなか熱量を帯びにくい一番の要因は、ミスへの緊張が奴らにはないからだろう。
(余談だが、そういう部分の実現につっ込んでいこうとしているビデオゲームクリエイターは少なからずいるが、それの実現は異様に難しい)
アナログゲームはとても手間がかかる。
人と一緒に遊ぶには体ごと移動して落ち合う必要があるし、机とイスを並べる必要があるし、ボードを広げたりカードを配ったりする必要があるし、人としゃべる必要がある。
しかし、その労苦をかけることでなんとも簡単に手に入る肉感があり、圧倒的な情報量を誇る。
ゲームデザインがするのは、その情報量を使えよ、使いどころはここだぞ、とささやきかけることなのである。
ゲームというのは、人が遊んで初めて完結しうるものだから、その研究をするためには、それを実感するのには、そうした「駆け引き」の場を「駆け引きのツール」たるゲームを主軸に据えて作るのが手っ取り早かろう。
言葉にまとめたのは初めてだけど、こうした感触自体は遥か昔からあった。
それを実行に移してみたのが、1年と2ヶ月ほど前になってからだった、ということなのだ。
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