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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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誤解を避ける意味で、いやいや説明不足を解消する目的で、昨日の話題をもう少し掘り下げておく。

「知る人」と「知らない人」がいた時、「知らない人」が馬鹿を見ることが圧倒的に多いように社会というのはできている。
それが専門性というものだから、そのメカニズム自体には必ずしも問題がない。
例えば魚屋は鍛えた目利きをもって品質と価格の釣り合いを考え客に商品としての魚を提供する。
この魚屋が善意や悪意のどちらを持っているかは関係ない。
僕の話題で重要なのは、「知らない人」は「知る人」に「魚の品質」や「価格の相応さ」について頼っており、その点においては「知る人」に優位性が生じているという事実だ。
そこに「つけこむ隙」があり、利益への道筋が悪意を伴わせたりする。
だからえてして「知らない人」が損をするんである。
逆に「知る人」が善意を向けて施し(物質的な意味ばかりでなく)をすると崇敬の対象になったりするんだろうと思う。

人は「知らないこと」があると、不器用な精度の低いイメージで補ってしまう。
「ゲームクリエイター」に任天堂の宮本さん(マリオとかゼルダとかWiiFitとかの人)とけたろうがいたとして、「宮本さんは有名だからすごくて、無名のけたろうはすごくない」という話になってしまったりする。
そこには宮本さんに対してもけたろうに対しても評価もない。宮本さんに関しては聞きかじった知識をもとに想像してみる程度はあるかもしれない。
(それが知名度が高いということはそれなりの事実があってのことであり、世間的評価とはそういうものである、という話はここでは置いておく)

とにかくそんな調子で、自分の「知らない」ものを語る時、目測は大きく狂っていることに無自覚なまま言葉を連ねることがいかに自身に危険をもたらしかねないか、説きたいんである。
僕は「知らない」こと自体を責める気は、実はそんなにない。(そう見える文にはなっているかもしれない)
ただ、自分が「知らない」可能性にくらいは自覚的でいるべきなのでは、と思っているのである。
無自覚なことにすら無自覚なのは、怠慢に他ならないと思えるのだ。

そして、その怠慢を叩き直すのが、自分の使命なんじゃねーのかなー、それがデキル者の務めなんじゃねーのかなー、いやー俺様ってば辛いねー。
ノブレス・オブリージュ。


そんなわけで触発はここまで。
小説、書くけど、今はゲーム作る。


ところで、school food punishmentの1st album「amp-reflection」が発売に。
amp-reflection(初回生産限定盤)(DVD付) amp-reflection
左が初回限定版で右が通常版だが……イメージリンクだと判別がつかないな。
ヘヴィループ。
きゃっきゃ。
Vocalの内村友美かYUIと知り合ったら惚れそう。
きゃっきゃ。
うふふはない。
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