けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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〈お詫び〉
ワタルは過半数どころか4分の1しか参加していませんでした。
謹んでお詫びせず訂正いたします。
「なんか気の利いたこと書かなきゃなー」
そういう強迫観念じみた気負いをどこかに抱えて、幾星霜ものブログの記事は作られる一方、「今起きたことをありのままに話す」スタイルのものが爆発的に増えているのも知っている。
芸能人やなんかのブログの驚くべき出来事の垂れ流しっぷりは「あんなん仕事じゃなきゃムリムリ」と思わせるに十分なインパクトを持つスタイルなのだが、アレはマネージャーなりの検閲は通っているはずだから、成分無調整とは言えないだろう。僕が直接知っているのは一部の声優さんだが、本人が携帯やノートPCでしたためたものをマネージャーがチェック、という光景は何度か目にした。
最近では(サービスの開始からはだいぶ経ってるけど)Twitterというものの登場により、その垣根がだいぶ取り払われた印象もある。
あのサービス自体は、技術的に先進的とはまったく言えないと思うが(システムの管理は膨大な情報管理のためによくできているんだとは思うけど)、ユーザーに気付かれにくいレベルで生活への密着度を高める工夫が施すことで、既存のサービスとは一線を画す性質を帯びている。
「文字数制限」という単純なルールに「つぶやき」という名を与えたことが、用途をおのずと強いながらも不自由さを感じさせない。
「まったく新しい」というような種類の形容はまったく似合わないけれど、超個人的なサービスの新たな在り方としてはわかりやすい。
そういった潮流の一方で、じゃあ小説だのゲームだのって、なんなんだろうね、と思う。
はっきり言って現時点でのメディアとしての在り方は間逆である。
時間をかけてこそこそとつくり、いよいよ完成間近となって始めてお披露目される。
だからこそ、個人の名前(わかりやすいのはセガの名越さん)を出すことで、特定のゲームタイトルではない部分でのプロモーション(の色を帯びた)活動を兼ねる、といったスタイルがよく見られるようになっているのだと思うし、僕はそれをとても良いことだと感じている。
多少話は逸れるけど、名越さんが「ゲーム業界は議論をしてこなさすぎた。それは我々開発者の怠慢でもある」といった趣旨のことを講演会で発言していたそうなのだが、それは僕が社会人になった頃からずっと感じていたことで、ものすごーく平たく言えば「ユーザーの質が悪い」ということになるのだが(これは開発者とユーザー、どちらがより、という話ではない)、そこは提供する側の努力の怠りに他ならないところも多分にあると思う。
まあとにかく、たまたま彼の言動には非常に共感・共鳴できることが多いため、動向を注目せざるをえない一人なんだけど、そういう部分では「個人的」なものを彼は切り売りしているわけだから、潮流には乗っかっているような気がする。
とはいえゲーム開発にせよ、小説の執筆にせよ、例えば新聞の連載のようにサイクルを早めることこそできるものの、Twitterでつぶやくほどのスピードを出すのはほぼ不可能なので、じゃあその分すごいクオリティのものを発表すればいいかというと、もちろんそれはそれで大事というか前提になってくるんだけど、「そればっかりではないんじゃねえかなあ」とも思うのである。
そういうことを考えていく時、組織の中の一員として動かざるをえないゲーム開発者のプランナーというのは、なんだかはがゆく感じることの多いポジションなのである。
「すごい面白いの作らなきゃなー」
このスピード感、スタンスの差たるや。
○GCS手記
50.4KB。大台に乗った。もう少しのはずなのだが。
イベントが多めだったとはいえ、10月に入って少々気を抜いたのは確か。
もう半分終わろうとしているよ。
>ばしこう先生
ロマサガ2の斧って、意外とパワーがないんだよなあ。
ところで君ってロマサガ2やったことあるんだっけ?
from Office
ワタルは過半数どころか4分の1しか参加していませんでした。
謹んでお詫びせず訂正いたします。
「なんか気の利いたこと書かなきゃなー」
そういう強迫観念じみた気負いをどこかに抱えて、幾星霜ものブログの記事は作られる一方、「今起きたことをありのままに話す」スタイルのものが爆発的に増えているのも知っている。
芸能人やなんかのブログの驚くべき出来事の垂れ流しっぷりは「あんなん仕事じゃなきゃムリムリ」と思わせるに十分なインパクトを持つスタイルなのだが、アレはマネージャーなりの検閲は通っているはずだから、成分無調整とは言えないだろう。僕が直接知っているのは一部の声優さんだが、本人が携帯やノートPCでしたためたものをマネージャーがチェック、という光景は何度か目にした。
最近では(サービスの開始からはだいぶ経ってるけど)Twitterというものの登場により、その垣根がだいぶ取り払われた印象もある。
あのサービス自体は、技術的に先進的とはまったく言えないと思うが(システムの管理は膨大な情報管理のためによくできているんだとは思うけど)、ユーザーに気付かれにくいレベルで生活への密着度を高める工夫が施すことで、既存のサービスとは一線を画す性質を帯びている。
「文字数制限」という単純なルールに「つぶやき」という名を与えたことが、用途をおのずと強いながらも不自由さを感じさせない。
「まったく新しい」というような種類の形容はまったく似合わないけれど、超個人的なサービスの新たな在り方としてはわかりやすい。
そういった潮流の一方で、じゃあ小説だのゲームだのって、なんなんだろうね、と思う。
はっきり言って現時点でのメディアとしての在り方は間逆である。
時間をかけてこそこそとつくり、いよいよ完成間近となって始めてお披露目される。
だからこそ、個人の名前(わかりやすいのはセガの名越さん)を出すことで、特定のゲームタイトルではない部分でのプロモーション(の色を帯びた)活動を兼ねる、といったスタイルがよく見られるようになっているのだと思うし、僕はそれをとても良いことだと感じている。
多少話は逸れるけど、名越さんが「ゲーム業界は議論をしてこなさすぎた。それは我々開発者の怠慢でもある」といった趣旨のことを講演会で発言していたそうなのだが、それは僕が社会人になった頃からずっと感じていたことで、ものすごーく平たく言えば「ユーザーの質が悪い」ということになるのだが(これは開発者とユーザー、どちらがより、という話ではない)、そこは提供する側の努力の怠りに他ならないところも多分にあると思う。
まあとにかく、たまたま彼の言動には非常に共感・共鳴できることが多いため、動向を注目せざるをえない一人なんだけど、そういう部分では「個人的」なものを彼は切り売りしているわけだから、潮流には乗っかっているような気がする。
とはいえゲーム開発にせよ、小説の執筆にせよ、例えば新聞の連載のようにサイクルを早めることこそできるものの、Twitterでつぶやくほどのスピードを出すのはほぼ不可能なので、じゃあその分すごいクオリティのものを発表すればいいかというと、もちろんそれはそれで大事というか前提になってくるんだけど、「そればっかりではないんじゃねえかなあ」とも思うのである。
そういうことを考えていく時、組織の中の一員として動かざるをえないゲーム開発者のプランナーというのは、なんだかはがゆく感じることの多いポジションなのである。
「すごい面白いの作らなきゃなー」
このスピード感、スタンスの差たるや。
○GCS手記
50.4KB。大台に乗った。もう少しのはずなのだが。
イベントが多めだったとはいえ、10月に入って少々気を抜いたのは確か。
もう半分終わろうとしているよ。
>ばしこう先生
ロマサガ2の斧って、意外とパワーがないんだよなあ。
ところで君ってロマサガ2やったことあるんだっけ?
from Office
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