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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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21日、休暇をとって父方の祖父母に会いに行ってきた。
祖母の体調が思わしくないそうで、様子を見に。


祖母は衰弱著しく、元々痩躯だった祖母はさらに痩せ細り、一回りも二回りも小さくなっていた。
僕と連れ立って行った妹を誰かともよくわかっていないようで、会話らしい会話をすることはできなかった。

正直に言うと、僕は父方の祖母が苦手だった。
母が一人っ子だったこともあって小学生の頃は夏休みといえば母方の祖父母が住む高知へばかり行っていたので、接する機会が単純に少なかったのが一因だろう。
母方と父方の祖母をどうしても比較して、「母方の祖母は話が通じるのに」「母方の祖母ならここで怒らないのに」などと思っていた。
生まれたのは高知、という自負みたいなものが幼いながらあって、贔屓目があったんだとも思う。
そうした気分が蓄積して、未だにどこか苦手意識のようなものは残っている。

しかし、そんなものが吹き飛ぶほどに、その姿は衝撃的だった。


一方、家で1人で過ごす祖父はわりあいに元気だった。
ちょこちょことおかしな様子(日めくりカレンダーの日付が異様に進んでいるとか、エアコンをつけずかなり暑くなった部屋にいたのはテレビのリモコンと間違えてエアコンのを操作し切っちゃったんじゃないかと推測されたりとか)はあったものの、相変わらずの飄々とした感じで安心した。

色々と話をした。
祖母に会ってきたと言ったら「生きとったか」と本気だか冗談だかわからない調子で言い、「まあ僕もゴールが近いでな」とつぶやいていた。
家紋の由緒を知らないかという話を振ったら、「大した家じゃないでな。きっとない」となんだか後ろ向きな反応の後、貧乏な家だったから家族には苦労させたけど、息子たちががんばってくれたから今の僕はこうして暮らせている、とつぶやいていた。

これらの話を東京に戻ってから父に報告してみると、父からすると珍しい話が多かったらしい。
息子には気恥ずかしさやなんかで言えないことを、孫には言えたということなのかもしれない。

とぼけた風の祖父(あるいは本当にぼけているが)は、しかし色々な覚悟のようなものができているように見えた。
もう少し話していたかったが、帰りの新幹線を決めてしまっていたので妹とそろそろ出ようかと話していると、それまで穏やかにしていた祖父がどこか落ち着かない様子になった。
寂しかったんだろう。僕らの姿が見えなくなるまで家の前から見送りをしてくれた。

老いるというのはこういうことなのだな、と学ばせてもらった思いだ。
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