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あけたからなんだこのやろう!
っていうのが僕が例年口にしている年明けの言葉なわけだけど、揺るぎない照れ隠しとして今年も使っていくよー。
本当は更新できないはずだったんだけど、親父がどうせ使いもしないのに(飲んでばかりいるから)イーモバイルとノートPCを持ってきていたので拝借。(祖父母宅にはインターネット環境はもちろん、PCだってない)
まあそれはともかく年始から語っておくことにする。
非正規労働者の救済がどうこうという話題はなんだか強い違和感を禁じえない!
これはとてもマクロなとらえ方かもしれないが、と前置きした上で話を進める。
企業なら利潤を求めてより優秀な人材の集合とより洗練された構造を望むわけで、アウトソーシングの進む近年の業務形態は、上位となる企業が下部の企業を切り捨てるなんてことはざらだ。
アウトソーシングの本質は専門性ごとの切り出しによる運営の先鋭化だと言えるが、経営の観点からすればすなわち、責任回避や部分的な着脱の容易さからくるリスクヘッジに他ならないとも言える。(すべてがそうというわけではもちろんないけれど)
このことは企業対従業員にも言える。つまり、企業対従業員の関係におけるアウトソーシング的な意味合いが非正規労働者、いわゆる契約社員の存在だ。
契約社員は企業にとって都合のいい雇用だと叫ぶコラムニストなんかもいるが、まさしくその通りであるものの、当人は少なからずその不利さやリスクを認識して登用を受け入れたはずだ。(そうでないならただの無知か無謀に過ぎない)
確かに突然過ぎる切り捨てはどんな理由があるにせよ、主に気分的なものや倫理観から不和を生むが、敢えて言うならその程度の存在だったということだ。金額のことだけを見れば、厚生年金なんかを半額も負担している正社員の方が、よっぽど切りたい存在なのだから。
だからこそ人は心技体といった要素を身につけていくのだ。交渉の場において対等になれなかった時点で、それしか勝負をしかけ、見せつけられるものはないのだから。
そのことを気付かずに嘆く当人も、不況だと騒いで救済策の検討を始める人間たちも、どっちも僕は信用ならない。所属する企業に対して利潤を生み出すために体力を消費し、技術を身につけ提供し、神経を割いて、その対価として給与を受け取る。それが企業と従業員の交わす契約だ。
どいつもこいつもあまったれんな、あまやかすな。
余談だが、「社員」というのは「出資している人」のことを意味しているらしいので、「正社員」でも株を所持していなかったりすれば「社員」ではないし、「契約社員」なんていう言葉はとてもおかしいような。
……みたいなことを思い浮かべてしまうような昨年末の空気を、払拭してしまいたいものだ。
あー、あけたけどなんだよこんちくしょう。