けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日は荒っぽくいくぞー。
小学校の頃から継続的に思っていること。
人から「すごい」と言われることがものすごーいイヤだということ。
いやね、悪い気はしないんだよ。
ただね、「その『すごい』は君自身と僕とを比較した場合の『すごい』だろう?」と思う。
たとえば30人のクラスで50m走の速さが上から5番目くらいの僕に対して、真ん中くらいのやつが「けたろうくんはすごいね」と言ってくるわけ。
「ちょっと待て、このクラスの中に僕より4人も速い奴がいるのに、いったいそれのどこが『すごい』んだ? 同学年で見たら競技人口は3倍(3クラスだった)だし、順位も×3だろう? ましてや世の中にはオリンピック選手とかいるんだぞ? 寝ぼけてんの?」
とは口にしなかったけど、そう思ってはいたのだ。
当然僕より足の速い連中は僕に対して少なくともその点について「すごい」と言ってくることはないわけで、そうしたら僕はやっぱり「すごくない」のだ。
「だからさ、気安く『すごい』とか言ってくれるなよ」
そう思っていた。
中学時代はそこに選民思想めいた色とかがつき始めて、「虫唾は走るが言わせておけ。住んでいる領域が違うのだからな、ファファファ」と暗いバラ色の世界に身を置いていたが、高校に入る頃になると「でもなー、今生きている人たちとだけ比較してもしょうがないんだよなー。死んじゃった過去の人たちも打ち負かして、これから生まれてくる連中が太刀打ちできないようでないと、本当に優れているとは言えないよなー」という、「全存在との、俺様の存在感の存亡を欠けた争い」をしていかないとなと考えていた。
「そんなわけだからさ、僕に『すごい』とか言うのは筋違いなんだぜ?」
しかして、じゃあそれってどうやるのよ、って問題にぶち当たるのは時間の問題で。
専門に通っていたあたりからその辺りに現実感がつきまとうようになってきて「じゃあどうしたらそれを達成できるよ?」と方法論を考えるようになり、社会人になってからはちょっと技術的なものに傾倒し過ぎていたけど、最近ようやくハートの部分に話が戻ってきたというか、それを軸にして技術を繰り出すスタイルをとれるようになってきつつあるというか。
こうなってくると、自分の「すごくなさ」と、人の言う「すごさ」の差が思いの外、気にならなくなってくる。
「すごい」と評価される程度には同じ領域にあるらしくて、まだその程度でしかないことが明白だからだ。
だから、昔に比べると「すごい」ことに対して自らの不甲斐なさを非常に情けなく思うし、ならば払拭しようと自責の念を下積みに奮起するわけだ。
僕は誰にも負けないのだということの確証を得られるまで、きっと「すごい」を受け入れない。
言っとくけど、分野だとかそんなつまんねーもんは関係ねーぞ。
できる限りなんでもすべて食い荒らしてやる所存だからな。
あーくそー。ちくしょー。
小学校の頃から継続的に思っていること。
人から「すごい」と言われることがものすごーいイヤだということ。
いやね、悪い気はしないんだよ。
ただね、「その『すごい』は君自身と僕とを比較した場合の『すごい』だろう?」と思う。
たとえば30人のクラスで50m走の速さが上から5番目くらいの僕に対して、真ん中くらいのやつが「けたろうくんはすごいね」と言ってくるわけ。
「ちょっと待て、このクラスの中に僕より4人も速い奴がいるのに、いったいそれのどこが『すごい』んだ? 同学年で見たら競技人口は3倍(3クラスだった)だし、順位も×3だろう? ましてや世の中にはオリンピック選手とかいるんだぞ? 寝ぼけてんの?」
とは口にしなかったけど、そう思ってはいたのだ。
当然僕より足の速い連中は僕に対して少なくともその点について「すごい」と言ってくることはないわけで、そうしたら僕はやっぱり「すごくない」のだ。
「だからさ、気安く『すごい』とか言ってくれるなよ」
そう思っていた。
中学時代はそこに選民思想めいた色とかがつき始めて、「虫唾は走るが言わせておけ。住んでいる領域が違うのだからな、ファファファ」と暗いバラ色の世界に身を置いていたが、高校に入る頃になると「でもなー、今生きている人たちとだけ比較してもしょうがないんだよなー。死んじゃった過去の人たちも打ち負かして、これから生まれてくる連中が太刀打ちできないようでないと、本当に優れているとは言えないよなー」という、「全存在との、俺様の存在感の存亡を欠けた争い」をしていかないとなと考えていた。
「そんなわけだからさ、僕に『すごい』とか言うのは筋違いなんだぜ?」
しかして、じゃあそれってどうやるのよ、って問題にぶち当たるのは時間の問題で。
専門に通っていたあたりからその辺りに現実感がつきまとうようになってきて「じゃあどうしたらそれを達成できるよ?」と方法論を考えるようになり、社会人になってからはちょっと技術的なものに傾倒し過ぎていたけど、最近ようやくハートの部分に話が戻ってきたというか、それを軸にして技術を繰り出すスタイルをとれるようになってきつつあるというか。
こうなってくると、自分の「すごくなさ」と、人の言う「すごさ」の差が思いの外、気にならなくなってくる。
「すごい」と評価される程度には同じ領域にあるらしくて、まだその程度でしかないことが明白だからだ。
だから、昔に比べると「すごい」ことに対して自らの不甲斐なさを非常に情けなく思うし、ならば払拭しようと自責の念を下積みに奮起するわけだ。
僕は誰にも負けないのだということの確証を得られるまで、きっと「すごい」を受け入れない。
言っとくけど、分野だとかそんなつまんねーもんは関係ねーぞ。
できる限りなんでもすべて食い荒らしてやる所存だからな。
あーくそー。ちくしょー。
PR
Comment
▲Re:無題
昔との最大の違いは、「すごい」と言う人を責める気持ちがなくなったところかな。
そんなことは、大した問題じゃないかな、と。
そんなことは、大した問題じゃないかな、と。