けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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前回の記事が自身の誕生日の翌日。
かれこれ2ヶ月の空白で僕は何をしていたのか。
それは1ヵ月半後の発売日を迎えると見ることができるようになるので、
興味のある人は手にとっていただければと。
以下、断片的に毒吐きとか覚書きとか。
裁判員制度の話題と寄り添って顔を見せる「裁判員担当者のその後のケア」とやら。
クソくらえ。なめんな。と思う。
自分がその立場に置かれたら?
しんどいだろう。そりゃあそうだ。自分のことなんかより、他人の人生のことを考えるなんてのはいつ誰がやったってしんどい。
でも、それは裁判官達が職務の中とはいえ日々行なっていることだ。
どんな人間がどんな人間に対してどんな判断下しているかを知らないだけで、そうした法制度は歴然とあるんだ。
人が避けたい仕事をやってる人間がいるから、他の人が避けていられるんだ。
その仕事をいざ自分に振られたらイヤだなんて口にする「一般人」は社会から追放されてしまえ。
一般の方に対しては負担が大きいだなんだと言う「知識人」は甘やかすのも見下すのも大概にしとけ。
自分が、自分の周りが嫌な思いをしないように、判断を繰り返すのが生活ってもんだろう。
とはいえ、覚悟をするなんてことはとても難しい。
なんでもかんでもあらかじめ想定するなんて無理難題だ。
だけど、だから、いざその局面を目の前にした時、不満や不安を飲み下して堪えられるような胆力のトレーニングは、いつだってし続けておくべきだよ。
それをやらないのは、卑怯だ。
東京都青少年健全育成条例について。
法的規制すんのはマジやめろよー。
そう思う一方で、昨今の諸々の傾向は調子に乗り過ぎ、とも思う。
性とか暴力の描写の過激さは実は主要な問題ではないと思う。
それは今に始まったことではないし、別に最近のものがとかくすごいわけではないから。
問題視されるべきは、多くの人間の目に触れる場にそれらを解き放ってしまったこと。
インターネットの存在は切っても切れない。
インターネット上で扱われているある話題を、あたかもそれがマジョリティ側の、マス的なものだと錯覚してしまった経験を、おそらくただ1人の例外もなくインターネット利用者たちは持っているはずだ。(自覚はないかもしれない)
「時間」や「空間」をすっ飛ばしてしまうこのメディアは、同時に「量」的な情報をそぎ落としてしまいがちだ。
全体量が累積していく特性から、おのずと「質」のみを抽出していくようになるからで、その傾向は日を追うごとに強まるばかり。
むしろ、「質」だけが残る。
そういった「声の大きさ」がわかりにくい環境からの情報に後押しされて、性描写やらを縮小再生産的に、焼き畑農業的に行ない、しかもそれの露出機会を増やしていったことが首を絞める結果になっている。
オタクの居直りがまかり通ってしまうほどに、露出の場は押し広げられてきてしまった。
こんなことになる前に自粛するべきだった。
それで生活している人間が多数いることもよく知っているけど、誰も別にこうなることを望んでいたわけではないと思うけど、なってしまった。
法規制はやめろよーと思うが、それこそ自己責任で不用意に失った信用くらいは取り戻す努力をしないといけないんじゃねーのかなあ。
しかし、最後の更新のタイトルが「R.E.S.」というのがなんともかんとも。
僕の、運営中断したウェブサイトの名前なんすね。
世俗と没交渉の、自分だけのためのシャレのつもりでタイピングしたはずだったんだけど、よもやそこから更新が止まるとは。
僕の文って、僕が書きながら思っていることの20~30%くらいしか落としこめていない気がしている。
そういうもんだとも思っている。
上ではわざとパーセンテージで書いたが、思っていることをもっと高い精度で人に伝えることよりも、そもそもその分母をでかくしたい。
仕事の時はそうもいかない。
費用対効果が悪すぎるから、精度を高めて労力に対しての利益を上げていくしかない。
わかりにくい理由は大体わかっている。
単語や文節といった小さな単位に対して、自分的に特別な意味を持たせ過ぎていること。
これについては、伝わらなくていいとは思っていないが、別に全部通じなくていいとも思っている。
ただ、「別解釈用意してござんすよー」ということ自体に気づいてもらえないと大損をこく。
どちらかというとそこが問題。
「なんかコイツの言うことには含みありそう」と思わせる、凄みとかそういうのが課題。
人とは全然違う着想、というほどのことはやっていないと思うが、どうも微妙に位相がズレている。
ちょうど更新停止前の記事でゲームがゲイノウがどうたらという話をしているが、あの辺りの話、自分としては非常に自信というか、確信めいたものがあり、話せばある程度の理解を得られるのだが、同意見を自らぶち上げるような存在にお目にかかったことがほとんどない。
何、やっぱズレてんの?
こんなことを考えると、僕は文筆業より、歌ったりのパフォーマーの方が性に合っている気がしてならない。
しかもアングラ気味の。
音楽、ほんとやってりゃよかった。
わーくん、来年度から社会人バンドやろうぜ。
かれこれ2ヶ月の空白で僕は何をしていたのか。
それは1ヵ月半後の発売日を迎えると見ることができるようになるので、
興味のある人は手にとっていただければと。
以下、断片的に毒吐きとか覚書きとか。
裁判員制度の話題と寄り添って顔を見せる「裁判員担当者のその後のケア」とやら。
クソくらえ。なめんな。と思う。
自分がその立場に置かれたら?
しんどいだろう。そりゃあそうだ。自分のことなんかより、他人の人生のことを考えるなんてのはいつ誰がやったってしんどい。
でも、それは裁判官達が職務の中とはいえ日々行なっていることだ。
どんな人間がどんな人間に対してどんな判断下しているかを知らないだけで、そうした法制度は歴然とあるんだ。
人が避けたい仕事をやってる人間がいるから、他の人が避けていられるんだ。
その仕事をいざ自分に振られたらイヤだなんて口にする「一般人」は社会から追放されてしまえ。
一般の方に対しては負担が大きいだなんだと言う「知識人」は甘やかすのも見下すのも大概にしとけ。
自分が、自分の周りが嫌な思いをしないように、判断を繰り返すのが生活ってもんだろう。
とはいえ、覚悟をするなんてことはとても難しい。
なんでもかんでもあらかじめ想定するなんて無理難題だ。
だけど、だから、いざその局面を目の前にした時、不満や不安を飲み下して堪えられるような胆力のトレーニングは、いつだってし続けておくべきだよ。
それをやらないのは、卑怯だ。
東京都青少年健全育成条例について。
法的規制すんのはマジやめろよー。
そう思う一方で、昨今の諸々の傾向は調子に乗り過ぎ、とも思う。
性とか暴力の描写の過激さは実は主要な問題ではないと思う。
それは今に始まったことではないし、別に最近のものがとかくすごいわけではないから。
問題視されるべきは、多くの人間の目に触れる場にそれらを解き放ってしまったこと。
インターネットの存在は切っても切れない。
インターネット上で扱われているある話題を、あたかもそれがマジョリティ側の、マス的なものだと錯覚してしまった経験を、おそらくただ1人の例外もなくインターネット利用者たちは持っているはずだ。(自覚はないかもしれない)
「時間」や「空間」をすっ飛ばしてしまうこのメディアは、同時に「量」的な情報をそぎ落としてしまいがちだ。
全体量が累積していく特性から、おのずと「質」のみを抽出していくようになるからで、その傾向は日を追うごとに強まるばかり。
むしろ、「質」だけが残る。
そういった「声の大きさ」がわかりにくい環境からの情報に後押しされて、性描写やらを縮小再生産的に、焼き畑農業的に行ない、しかもそれの露出機会を増やしていったことが首を絞める結果になっている。
オタクの居直りがまかり通ってしまうほどに、露出の場は押し広げられてきてしまった。
こんなことになる前に自粛するべきだった。
それで生活している人間が多数いることもよく知っているけど、誰も別にこうなることを望んでいたわけではないと思うけど、なってしまった。
法規制はやめろよーと思うが、それこそ自己責任で不用意に失った信用くらいは取り戻す努力をしないといけないんじゃねーのかなあ。
しかし、最後の更新のタイトルが「R.E.S.」というのがなんともかんとも。
僕の、運営中断したウェブサイトの名前なんすね。
世俗と没交渉の、自分だけのためのシャレのつもりでタイピングしたはずだったんだけど、よもやそこから更新が止まるとは。
僕の文って、僕が書きながら思っていることの20~30%くらいしか落としこめていない気がしている。
そういうもんだとも思っている。
上ではわざとパーセンテージで書いたが、思っていることをもっと高い精度で人に伝えることよりも、そもそもその分母をでかくしたい。
仕事の時はそうもいかない。
費用対効果が悪すぎるから、精度を高めて労力に対しての利益を上げていくしかない。
わかりにくい理由は大体わかっている。
単語や文節といった小さな単位に対して、自分的に特別な意味を持たせ過ぎていること。
これについては、伝わらなくていいとは思っていないが、別に全部通じなくていいとも思っている。
ただ、「別解釈用意してござんすよー」ということ自体に気づいてもらえないと大損をこく。
どちらかというとそこが問題。
「なんかコイツの言うことには含みありそう」と思わせる、凄みとかそういうのが課題。
人とは全然違う着想、というほどのことはやっていないと思うが、どうも微妙に位相がズレている。
ちょうど更新停止前の記事でゲームがゲイノウがどうたらという話をしているが、あの辺りの話、自分としては非常に自信というか、確信めいたものがあり、話せばある程度の理解を得られるのだが、同意見を自らぶち上げるような存在にお目にかかったことがほとんどない。
何、やっぱズレてんの?
こんなことを考えると、僕は文筆業より、歌ったりのパフォーマーの方が性に合っている気がしてならない。
しかもアングラ気味の。
音楽、ほんとやってりゃよかった。
わーくん、来年度から社会人バンドやろうぜ。
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