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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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ああ、いかんいかん。どうも否定的で。

ここんとこ、抽象的な話が続いているのは、ひとえに思考モードだから。
内向的と言い換えてもいい。
計ったことはないけど、周期的にこういう時間は訪れる。
「そろそろこもっとくかー」みたいな気分なんだろう。

しかし、否定的なニュアンスのことを考えたり発言したりしている時というのは、要するにジレンマの真っ最中だと言い換えていい。
否定の意思が芽生えるのを感じる時というのは、それをどうすれば解消できるのかという命題への意欲が同時多発的に湧き出るからである。
僕にとって、「否定」と「問題解決への態度」はイコールで結んでいいものだ。

「ちっくしょー、あのヤロウ、クソむかつくぜ」
ってなことを感じる時というのは裏を返すと、
「うーん、あの人とうまく付き合うにはどうしたらいいのかな」
あるいは、
「うーん、どうすればあの人の悪いところを直せるんだろうか」
という風に考えている時なのである。

また、
「こんなゴミ同然の文章じゃダメだ!」
と思う時には既に、
「なにゆえ僕はこの文章を書くに至ってしまったのか分析しておこう」だとか、
「一つ上のステージへ行くためにはどうしたらいいんだろうね」
といったことを考えているのである。

本当にほぼ同時なのだ。
僕にとってこうした作用はとても自然なことで、そのせいで含みのある風の言い方になることが多い気もする。
接する周りからしても「すっきりしない態度」と感じる場面があるだろうが、僕自身もまた相当にすっきりしていない状況なので勘弁いただきたい。

このマルチスレッド的な思考がいつ頃から始まったか覚えていないけれど、小学校5年の春に「今年の目標」に「物事を否定して考えてみる」なんて書くめんどくさいガキんちょだった僕なので、まあ昔からそんなんだったんだろう。
自覚したのがいつかは、やっぱりわからないけど。

もはや性分だからうまく使いこなすとして、さてこれが人様に悪影響を与えないようにすることくらいは、しなやかに達成したいものだね。


○GD作業状況
今までに僕が書いた小説には、思考をあまりにも直接的に盛り込みすぎた気配がある。
しかも抽象的なやつ。そんなものじゃどうやら人には伝わらない。
もっともっと丁寧かつ大胆に。
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絵の話。

中学1年の時だったろうか。
絵を描くことの必要性を感じたのは。
どこぞのオタクとK村というのと親しくしている辺りから、急速にその必要性を感じるようになった。
K村は感性に任せて描く「クラスに一人はいるなんとなく絵のうまい奴」だった。
どこぞのオタクはへったくそながらもなんだか滑稽なほど懸命に描いている奴だった。
僕はそれまで描いていなかったけれど、「ああ、描かないわけにはいかないんだな」という風に思ったことを覚えている。
今見ると、この頃の絵にはある種の必死さがあって、僕は目を覆いたくなったりはほとんどせず、ひたすら懐かしくうらやましく感じる。

中学2年~高校1年。
その延長線上で描き続けていた。
この頃の絵にはなんか歪みがある。背伸びしようとしている感じ。

高校2~3年。
Reaperという小説をネット連載しよう、という話を仲間内で始めた時、絵があるとないとでは訴求力が違う、と思った。
しかし、周りに頼むという発想は僕にはなく、僕が描くしかない、と思い込んだ。
この時期、写真模写で顔ばかりを描いていた。
デッサンのデの字も理屈の上では知らなかったけど、この頃自然と学習したことが今でも残っている。
ちゅーか、僕の絵に対する財産はこの時がピーク。
この頃の絵は背伸びばかりだった一昔前のものから、少し見れるものに近づいている。

専門学校時代。
周りに僕より描ける奴はもちろんいたけれど、「キャラクターデザイン」の能力だけに限って言えば、そんなに負けていないような気がしていた。
だって、他の連中は人物造形のなんたるかを考えていないようだったから。
そんなわけで、画力はないけど自信はおもむろにある、という状況になった。

現在。
観察力が昔に比べて増したからか。
しばらく描いていなかったのに、最近描いた絵は昔のものより上手い。
もちろん、僕より上手い人はいくらだっているけれど、僕よりも僕の好きな絵を描ける人はあんまりいない。
溢れる自己愛、ばかりでもない。最低限の価値はあるわけだから。

画力の不足だとかセンスの欠落だとかを目の当たりにしてクサることもあるだろうけど、そんな具合に積み上げた経験や修練の成果がふとした拍子に結び付くことがある。
それは人目につかない飛躍の機会になって、そこでうまく弾みをつけられるとなんかこうブレイクスルー。
その気付きが間違っていると瓦解して自信喪失やなんかにつながるけど、瓦礫の山は土地を豊かにしたりもするから気にせずにまた積めばいい。

仕事にできるくらいの絵に対する理解やセンスや技術を持っていなきゃなあ、と僕は思っている。
そんくらいはできんだろう、と。


○GD作業状況
ここのところ二人のヒロインの絵を描いているが、片方のイメージが固まりきらない。
固まらないというより、絵に落とし込むことができない、という感じ。
こういうジレンマがあると僕は必ずブレにつながってしまうので、正す必要アリ。



最近の関心事――というか今年に入ってからの思考テーマ。
とても自己完結的。

1.子供心に残るヒーロー像とはいかなるものか
2.男性の手による男性に向けた女性像の在り方とそのぶっ壊し方
3.方法論に頼らない創出の安定供給
4.ゲーム製作業における己の立ち位置と立ち居振る舞い
5.変革の誘発〈自分の周り編〉

どれも論文テーマにできそうだ。
ブログで長文気味な記事は、僕の中でこのどれかにほぼ属している。

それぞれの現時点での印象や暫定的結論。

1.南光太郎。その人との同化とは違う目標を抱かせてくれる人のこと。
2.GDで見せつけたい。地味過ぎるかね。
3.意欲に頼る、ということ以外だとびっくりするほど難しい。
4.清濁併せ呑み過ぎ。得意分野のぶつけ合いができないなら、結局伸びねーんじゃねーの、この仕事。
5.TGP。箱の限界が見えつつあるが……

相変わらず思考が勝ち過ぎていて、なかなか体現に至れていない。
この中である程度でもやれていると言えるのは、245くらい。
ピントはずれていないはずだと妄信して実現化と完遂を目標にしよう。


○GD作業状況
ライトノベル的作法への意識はきっちり捨て去るとしよう。
肌にあわん。時代と寝る男にはなれそうにない。



品性の話。

電車でイスに腰を下ろす時、どすっと乱暴に座る人がいる。結構いる。
同じイスの先客からすると、振動が来ていい気はしないものだが、よくいる。
槍玉に上がっているところを見たことがないけれど、僕にしてみると携帯のマナーなんかより、その方がずっと気になる。

品性というものは立ち居振る舞いを通して、その人が社会的立ち位置としてどこに在りたいかを示すもののような気がしている。
人の上に立ちたいならば崇敬や畏怖を抱かせるために威風堂々としてくるし、本流から外れていたいならそこから目を逸らして反骨の精神を露にする行為(歌だったり、暴走だったり)をとる。

そう仮定すれば、先に挙げた例のような振る舞いをする人は、品性が欠けている!
と言っても差し支えなさそうに思えてくる。
そんな女性が男のだらしなさに愚痴をこぼしたり、そんな大人が「最近の若い者は」と口にすることは、なんだかちゃんちゃらおかしい。
たぶん、立ち居振る舞いが周囲に与える影響に無関心なんだろう。
すべてを意図の上に置くのはとんでもなく困難だけれど、せめて説教する時くらいは意識しておかないといかんのだろう。

要約すると、自ら意図的に休息を取る時以外に、あぐらなんかかくもんじゃねーなあって話。
ノブレス・オブリージュ。今後も救世主たらんことを。


○GD作業状況
第3章:38.7KB。仕事の傍らの弊害。




名前のこと。
キャラクター名を決める時に考えることは色々ある。
自分の思考をまとめるために、ここに書いておくことにする。

考慮に含めるのはこの辺。
まず、個々の人物に対して。
    ・名前の響きが良い(あるいは敢えて悪い)か
    ・字面が他の言葉に埋もれるものになっていないか
     (「明=あきら」とか「一=はじめ」とかは小説媒体だと辛い)
    ・アルファベットにした時に様になるか
    ・漢字の場合は難読過ぎないか
    ・ユニークであるか
     (要するに、検索して引っかからないか。意識し過ぎても仕方ないので、参考程度に)

次に、同作品内でのバランス。
    ・響きがかぶっていないか。
     (日本人の男性名なら、「ようじ」「こうじ」「りょうじ」「しょうじ」みたいなのは避ける)
    ・イニシャルが他と被っていないか
     (鈴木太郎と佐藤哲夫は響きこそ違うけどイニシャルが同じ)

和名でも洋名でも、この要領は同じ。
この中で市販の作品を見ていてたまに気になるのは、「字面が埋もれないか~」というやつ。
日本語の文章にカタカナ表記で洋名を入れるのは間違いなく浮いてくれるので、安全度が高い。
ただし、「~~よりマシ」だとか「そうなんデス」といった、カタカナにして文に違和感を持たせるような日本語独特の手段はそうした環境下だと効果が薄まる。(僕はあんまりやらないケド)
日本人の場合難しいのは漢字一文字の名前。
普段あまり使わない、あるいは意識すれば使わなくとも問題ない字ならいいんだけど、たとえば、絶賛航海中の間寛平さんの「はざま」は、苗字だけだと「間は時間を気にしている」みたいなことになってなんとなく恰好がつかない。
先に示した「一」さんなんかも、「一時」「一度」「一瞬」「唯一」「小一時間」等々、どうしても数字の登場頻度は高くなりがちなはずなので、少々不利だ。

と、いうようなことを、考え込みすぎない程度にざらっと一巡させておく、くらいのことはするようにしている。
せっかく育てた子供が、そういうところで存分に活躍できないのは嫌だなあ、と思うからだ。


去年の11月くらいだったろうか。
GDの二人のヒロインの名前は、わりとすんなり決まった。
打算も込みで検索して他にその名前がないかどうかを調べたり、姓名判断をしてみたりしたけど上々の結果で、すんなり決まったわりに不自然過ぎず、ありがちでもなく、良い名前をつけられたと自画自賛。
毎回親になるたび、こういう手順を踏むんだろう。
まあでも、子供には親から与えられた名前の意味を十分に咀嚼した上で、そんなもんはぶっちぎってしまってくれ、と思う。
それが子供の使命だとも。


僕のHN「けたろう」の名付け親は、他の誰でもなく父親だ。
ドラクエの勇者の名を僕が「けいたろ」にしていたのを見た父が、「じゃあ僕は“けたろう”にしよう」とぼうけんのしょ3に勇者・けたろうを誕生させた。
そのことをネットを始めた頃にふと思い出して、名前っぽくありながらも間抜け感の強いところが良いかと思って採用したのだ。
今では顔を合わせていても僕を「けた」ないし「けたろう」と呼ぶ人が少なくないので、僕の父は二重で名付け親なのだった。
なんでい、親の影響下から逃れられないじゃねーか。


○GD作業状況
第3章:38.7KB。二人の娘は僕の思い悩みを食らってすくすく育っています。




たまには怒っておくのもいいだろう。
はい、仕事のこと。

汚れ仕事じみた職務が増えた。
別におてんとさんに顔向けできないぜってなことをしているわけじゃあない。
交渉力のヘタレている我が社にとって、渉外担当の役立たなさをサポートすることと、そのせいで生じる社内的軋轢をどこかで吸収する、っていうのは必要不可欠な機能で、僕がそれを担っている、って話。
なんとも損なポジションだなあとは思うが、そういった機能をまかなうことができる人がまったくと言っていいほどいないので、仕方ない。
前回の仕事における最大の反省点「名前の残らない仕事に価値なし」というのを早くもぶち抜く恰好に。

とはいえ、昔ならこういうことには面と向かって「ファックオフ!」とでも言っていた僕だ。
僕個人としては依然として「ファッキュー」なところもあるけれど、これはまさに心情の変化というやつで、「しょうがないからまとめて面倒みてやる」みたいな感じに、今はなった。

今の仕事は他人の尻拭きをなかば強引にさせられるところから始まったから、ケチはつきっぱなしだ。
けれど、自分がそのカバーに回っていることに対する不平不満はほとんどない。

ただし、周囲のことはものすごく見下している。
僕にとって最もうすら寒いのは、そういう悪循環のメカニズムに気付けず、故に補修に動けない奴らの愚鈍さだ。
僕はこの役割を与えられたのではない。自らそこに立ったのだから。
人間としての性能が違うから、僕が人より多くのことをするのはいいんだよ。
問題点の在り処を嗅ぎ取ってそこに睨みをきかせられるくらいには、心眼を鍛えたまえ、ってことだ。
自身のつまらん矜持に乗っ取って職務は完遂してやるから、どうぞそのうち痛い目を見るがいい。

さて、僕は今、諦めの吹き溜まりにいるのか、新境地の入り口にいるのか。
絶望から何らかの境地に達する説話もそれなりにあることだし、まあ後者だと思うことにしておく。
きっとそれでいい。


○GD作業状況
第3章:37.7KB。少し書いた。
「きっとそれでいい!」は、メインヒロインの片割れの決め台詞。



強い光を見たり、大きい音を聞いたりすると、その情報はしばらく残ってしまうものらしい。
これが脳の安静を邪魔して十分な睡眠状態になれない、とか。

眠くて仕方のなかった僕は、テレビをつけた。
黒い液晶画面に光が敷きつめられるのをぼんやりとして待つ。
ザッピングの果てに行きついた番組は、愉快なコントがテンポ良く披露され、大爆笑が起こるだけだった。
生活の彩りとなるほどの刺激はなく、単調な内容だ。
気になるあの子とのデートまであと一時間。
眠るわけにはいかない。今眠れば、きっと起きられない。
どうしてこんなに眠いのか。
仕事ではかなりパソコンを使うから目は疲れている。イヤホンを差し込めばサウンドプレイヤーからの音楽を聴けるから気分転換もばっちりでいつでもリラックス。枕もとのアロマキャンドルは欠かさない。
こんなにも良き睡眠をとる条件は整っているのに、なぜ、こんなにも、眠気は凶悪な誘惑をしのび足で持ち込むのだろう。
耐えろ。耐えるんだ。めくるめく時間はすぐそこだ。
ひとしきりのテクニックで裸の彼女をものにできたら、いいことたっぷり楽しんで、肌寄せ合ったらよく眠れるさ。
眠くて仕方のなくなった僕は、大好きなヒーリングミュージックを大音量でかけた。

逆説プリンス。
自己完結的過ぎるかしら。

○GD作業状況
101KB。女の子モードが薄れていて進まない。仕事の影響か。



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