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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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なんでミュージシャンは見てくれがウリになり得て、ゲーム開発者はなりえないのか。
「『商品開発』による『サービス業』」であることは共通している。
「興行」「ショウビジネス」の面があるか否かだけか。

TVという媒体との距離が近いアニメは、似たようなフィクション度合いでありながらその辺りが少し違う。
90年代から続く声優の業態とかがわかりやすい。

そういう意味で、いまだTV主体の芸能文化が根強いこの日本において、芸能に片足を突っ込んですらいない数少ないメディアがゲームだと言ってもいいのかもしれない。

文化としての存在感を主張せず、ひっそりと好きなようにやってきたことのツケが回ってきているのではないか。
少子化が、開発費の高騰が、技術開発における体制のなさが、そういった事情たちが日本のゲーム産業が停滞や衰弱する傾向に拍車をかけているというのもまた事実の一つであろうが、少なくとも商売のシェアが伸びないことの根本ではないと思う。
「その存在を知らない、知る機会がない」
このことがいかに望まない結果を招きがちか。

ある程度の時間=予算がないとどうにもこうにも立ち行かない現実はあるし、海外との技術開発力の差の問題は並行してなんとかしないといけないけど、うわっつらにどんな建物を築くかばかりを気にして実は土地がダメになってて建てることができなくなっていた、なんてのはそれこそ愚の骨頂。

そんなわけで、任天堂の理念構築と、セガの名越さんの動向を僕は支持している。
自分の行動がそれに伴えてはいないのが情けなくはあるけど、ああいう向きがもうちょっと必要なんじゃないかな、とは思う。

ちなみに、小説はこれの逆パターンね。
芸能に足つっこんでるクセに「私たち、ちょっと違いますから」ってすまし顔なんてしちゃうもんだから大勢には影響できないポジションなの。
まあ、その立ち回りゆえにポジションを得られている部分もあろうけどね。

ヒーロー像を示すことができないメディアは、新陳代謝できずに死滅する。
ゲームは、それを行なう場を与えられてすらいない。

この話、僕の中ではかなり確固たる自信があるというか、うまく語れていないかもしれないけれど、少しでもひっかる人がいたら、コメントを欲しいです。(コメント機能じゃなくてもいい)
ほんとは本を書くくらいの意気込みで分量書かないと伝えられないんじゃないか。
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「視界」が狭い!
と高校3年の時、なんとはなしに思って、それ以来「視界」というのは僕にとってキーフレーズの一つになっている。
何か行動を取り始めると「視界」は収束しがちで、なかなか継続的実践はできていないけど、気分が落ち着いている時くらいは「視界」を大きく取る。
「視界」は何も観念的なものではない。
眼球の拾う情景が180°を超えた時、全能感めいたものに近付くことができる。
心身いずれもの在り様と、その作り方の問題。

少し忘れかけていたが、そんなことを熱心に掲げていたことを近頃思い出し、どうでもよくなった。
そのフェーズは終わっっていた。
口を開けて言葉にすること。指を駆使して形作ること。
それだけに終始するフェーズなんて、とっくに終わっっていた。
だが、開けているつもりの口が思いの外小さく、指の動きが殊に硬いことを自覚し、こりゃーやべーと思い至る。
このままでいるとあと数年でちびて滅びる。
エネルギーがあるのは当たり前として、その変換効率の良し悪しが差をつける。
「がんばってくすぶっている」
これが僕の、妥当な現状だと思う。

大火を生むためには、そこっぽい。
そのための下準備、基礎体力として、「視界」をこじ開けておかないといけない。

改造人間じゃないので、状況から使命感を圧迫されて闘いへ赴くことにはならない。
身体作りの考え方は、むしろアスリートのそれであるべきなんだろう。


観念的に過ぎて、何言ってんのかわからないのかな。
変換効率ワリー。



作業をするための作業。
仕事を作るための仕事。
金を得るための金。

これらの文たちが示す最初と最後にある同じ言葉は、こと組織においては為す者の一致しないことがほとんどだと思う。
管理職が「作業をさせるための作業」をこなすが、その後には作業者たちの領域がひかえている。
営業職が「仕事を作るための仕事」をこなすが、仕事を形にするのは管理職を筆頭とした作業者たち。
経営職が「金を得るための金」をやりくりして、営業に回す。
こうした連鎖が会社組織の血脈だ。


ところで、我が社の場合でそれぞれの担当を考えると、こういった構造になる。

D:作業をするための作業。
社長&D:仕事を作るための仕事。
社長:金を得るための金。
※D=ディレクター

40人が社員として勤めているが、このうちDってのは4~5人。
つまり、残りの35人ほどは、純粋な作業者なのである。
もっとも、「仕事を作るための仕事」として企画書なんかを作る時はグラフィッカーの手を借りることも多いし、「作業をするための作業」は分散して行なうことも多いので、その数字は肩書きの問題ではあるのだけど。

苦労話のつもりで書くのではないけど、現在進行中の仕事で僕は、「作業をさせるための作業」をほとんど誰にも振らずに1人でこなし、「仕事を作るための仕事」もわりと手伝っている、という感じだと思う。
これまでの社会人生活でも、それらをやっていなかったわけではないが、今回の比重の大きさはこれまでの比ではない。
だから実感できてきたことがある。
「ああ、経営ってめんどくせー」とか「しゃちょさんありがとう」とか。

最初の会社の上司であるOさんの色んな言葉のうち、特に印象に残っているものの一つにこんな趣旨の言葉があった。
「君みたいなタイプは、誰かがやるしかない仕事をやることになる時がくる」

「ああ、こういうことかー」とここ半年よく思う。
僕の采配が会社の利潤を左右する。
でも、僕が僕自身の手でゲームを作る作業に触れる時間は減りがちで、そこにフラストレーションがないではない。
こうなることはおおむねわかっていた。
その予感はあったから、いつからか「ゲームクリエイター」という言葉がなんだか嫌いだった。
そういう仕組みをそれなりに理解してみたら、理想や夢想の領域が主戦場ではないように思ったからだ。
でも、それも違う気がしてきた。
そういう仕組みすら包括して「ゲームのこと」を考えようとすることが、「ゲームクリエイター」の入り口なんじゃねーのかなー、と。


ここを踏み越えられると、ゲームクリエイターになる条件を一つ、達成できるのかもしれない。
まあ、金には直接触れちゃいないけどさ。



ヒーローとはッ!
己の目指すべき姿と在り方を、身をもって示してくれる者のことだッ!!

故に、26歳10ヶ月の僕が20歳そこそこの左翔太郎やフィリップをヒーローと見ることはない!
ヒーローは、南光太郎ただ1人なのだァッ!!



みたいなことをWが終幕の兆しを見せ始めたので、思う。
憧れの感覚はあっても、彼らが僕の目標にはならない。
少なくとも、彼らの成分のいくらかは、既に体現していたり、通過してしまっているからだ。
バックにギアを変えることはやらない。



僕は僕自身がヒーローたり得る存在となることを、最大の目標とする。
理想を完遂し、アイデンティファイを果たす!



とはいえ、自らの身を表現媒体としないヒーロー像の提示にいかほどの価値があるのか。
作劇などという逃げの一手を打っている時点でこの理想はついえているのではないか。



友人の不幸を爆笑するくらいには外道です。
その友人に救いを差し伸べてみようと思うくらいには救世主志望です。



混乱はしていない。
ただやり方を考えている。

腹ぁくくれ、俺様。



つーか、前半が10日くらい前の話の焼き直しじゃねーか。
大して進んでねーってのか。



人の少ない電車内にて。
「君に一つ教えておいてあげよう。ここは君の家でもオフィスでもない。そんな場所でパソコンを使うというのは、とても良くない。携帯までは許されても、パソコンというのは良くない。君はもう少しエスプリを出すべきだ」
強面の老人にそう諭された。
ん? エスプリ? この用法はアリ?

「オフィス」という単語を何度か使っていたので、「パソコンを使う=仕事」を連想するから「エスプリ=気遣い」を見せろということ、と解釈するのが適当なのかね。
拡大解釈な気がするけども。

ともかく、そんな一幕がありまして。
携帯を引き合いに出すあたりじいさん了見狭いなーと思う一方で、なるほどそういう見識もあるのかー、とも。


ところで、この件以前から思っていたことがあって、これをきっかけに書き起こしてみることにした。

アナログとデジタルを分けて考えている人ってバカだなー、ってこと。
いや、時代についてこれてないとか、そういうことを言いたいんじゃない。
ろくな躊躇もなく「デジタルはよくわからない」って態度を示しちゃうのって、あまりにも闇雲で浅薄で短慮だ。
デジタルはアナログを下地にしている、って事実の認識すらないわけでしょ。
明らかな法則の上に成り立っていて、数学や物理学といったものからいかに地続きかの想像すら欠片もしたことないんでしょ。
そういう奴はどうせ、足し算と九九はできても、掛け算になった途端九九の積み重ねでしか計算できなくなっちゃうような人なんだろうな。

僕がデジタル畑の人間だからそう思う、という面もあるだろう。
僕にしてみれば細菌学とかの方がよっぽどわけわからんと思うので(実体の把握が既存の理屈だけでは難しいことが多いから)、それらの知識を利用した食品加工とか、そういう営みこそ畏怖の対象たり得るんだけどなあ。

この文を見かけたある人は「文系と理系」といったくくりについて意識するかもしれない。
でもそれも僕に言わせると「バカ」で「無能」。
賢い人は、どちらか一方に軸足を置いていたってもう一方への見識や想像は失わない(だから軸足を置いたままでいられる)。
デキル人は、そんな区分など執着せずに走っていく。

こういう2種の間に線引きをするのは、人間と猿の間に線引きをしたがることと似ている。
しかも、人間の方をひいきしちゃう。
「自分は人間なんだよなあ」という自覚に乏しい奴なのだ。
なんと想像力のないことだろうと思う。


下車する一駅前、肘を肘掛から大きく飛び出させてくつろぐ老人を指しての僕の反撃。
「忠告痛み入りました。感謝の念の一つも述べておきます。ただ、あなたもまた振る舞いを正すべき人間の1人だと僕は思いました。斯様にくつろぐことでパーソナルスペースの可能性を一つ潰しているのですから。今後はその横柄な座し方を改めていただきますよう」
1発殴られたら、それより強い1発で殴り返す。

とはいえ、こんな頭でっかちな記事書くくらいなら、さりげないエスプリで埋めていきたいものですわ。



ケタロリウムをご覧の方に、E3を知っている人はどれだけいるだろう。

1.知らない
2.知っている
3.知っているが興味はない
4.知っていて興味がある

国際規模のTGS(トーキョーゲームショウ)だと思ってもらえればおおむね正解で、ゲームに限らず生産系の勤め人ならそれに類する催し(車ならモーターショウとか)を思い浮かべてもらえれば正解。
ロスに赴いたわけでもない僕なので、カンファレンスの内容を見ての感想なんぞを。

どうでもいいことだが、この記事がケタロリウム256件目の記事になるらしい。
うってつけじゃないか。




今日は荒っぽくいくぞー。

小学校の頃から継続的に思っていること。
人から「すごい」と言われることがものすごーいイヤだということ。

いやね、悪い気はしないんだよ。
ただね、「その『すごい』は君自身と僕とを比較した場合の『すごい』だろう?」と思う。
たとえば30人のクラスで50m走の速さが上から5番目くらいの僕に対して、真ん中くらいのやつが「けたろうくんはすごいね」と言ってくるわけ。
「ちょっと待て、このクラスの中に僕より4人も速い奴がいるのに、いったいそれのどこが『すごい』んだ? 同学年で見たら競技人口は3倍(3クラスだった)だし、順位も×3だろう? ましてや世の中にはオリンピック選手とかいるんだぞ? 寝ぼけてんの?」
とは口にしなかったけど、そう思ってはいたのだ。
当然僕より足の速い連中は僕に対して少なくともその点について「すごい」と言ってくることはないわけで、そうしたら僕はやっぱり「すごくない」のだ。
「だからさ、気安く『すごい』とか言ってくれるなよ」
そう思っていた。

中学時代はそこに選民思想めいた色とかがつき始めて、「虫唾は走るが言わせておけ。住んでいる領域が違うのだからな、ファファファ」と暗いバラ色の世界に身を置いていたが、高校に入る頃になると「でもなー、今生きている人たちとだけ比較してもしょうがないんだよなー。死んじゃった過去の人たちも打ち負かして、これから生まれてくる連中が太刀打ちできないようでないと、本当に優れているとは言えないよなー」という、「全存在との、俺様の存在感の存亡を欠けた争い」をしていかないとなと考えていた。
「そんなわけだからさ、僕に『すごい』とか言うのは筋違いなんだぜ?」

しかして、じゃあそれってどうやるのよ、って問題にぶち当たるのは時間の問題で。
専門に通っていたあたりからその辺りに現実感がつきまとうようになってきて「じゃあどうしたらそれを達成できるよ?」と方法論を考えるようになり、社会人になってからはちょっと技術的なものに傾倒し過ぎていたけど、最近ようやくハートの部分に話が戻ってきたというか、それを軸にして技術を繰り出すスタイルをとれるようになってきつつあるというか。

こうなってくると、自分の「すごくなさ」と、人の言う「すごさ」の差が思いの外、気にならなくなってくる。
「すごい」と評価される程度には同じ領域にあるらしくて、まだその程度でしかないことが明白だからだ。
だから、昔に比べると「すごい」ことに対して自らの不甲斐なさを非常に情けなく思うし、ならば払拭しようと自責の念を下積みに奮起するわけだ。

僕は誰にも負けないのだということの確証を得られるまで、きっと「すごい」を受け入れない。

言っとくけど、分野だとかそんなつまんねーもんは関係ねーぞ。
できる限りなんでもすべて食い荒らしてやる所存だからな。

あーくそー。ちくしょー。



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