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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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「面倒だからやらない」を続けると、エネルギーの循環が滞り、心根が順調に腐っていく。
これが進むと誰かが水を与えてくれてもどうにもならなくなる。
根も幹も葉も、連鎖してくたびれていく。

マネージャーと名のつくたいていのポジションは、いつだって別にいなくても良くて、いないと何かとうまくいかなくて、いたからといって好循環をもたらしてくれるわけではない。
それは「組織」の性質に依存する。
「組織」は必ずしも人間の集まりでなくても良くて、体組織でもいい。
マネジメントは自分でやりゃいいやというのも正解だし、誰かがやるとさらにすげーも正解だし。
それが体質だ。

ところで寄生虫による変身ヒーローって、どんなのがあったっけ。
昨晩思いついたことは、とてもゲスで、だからこそぶっとばしがいがある。
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○デスクトップPCの新調
8年半ぶりくらい。
自作はもはやプラモデル的な趣味と変わらないので既製品で。
(昔はコストパフォーマンス的に上回る楽しみもあったと思うが)
そこそこのスペックのにする。
時期を考えるとWindows8やOffice2012を待つのが良いのかもしれないが、どうしようかな。


○上記に合わせてミキサー等を準備
安いものから。0をひとまず1にする。


○引越しの検討をする
来年3月で現在の住居の契約更新が必要となるが、転居を考える。
23区の西寄りにするのは確定として、どこにするかな。
一番億劫なのは待ち受ける各種住所変更。
惜しむらくは二条さん。


○同窓会的なものの企画をする
小学校時代の恩師が直に定年を迎える(はず!)なので、そのお疲れさま会を催そうと画策。
しかして、当時は静岡在住であり、その土地を離れて久しい僕ではカバーできない部分も多い。
共同企画者を募るところから始める必要がある。
まずはそこから。


○仕事の仕方を変える
自分の生業であるゲーム開発に思うところが色々ある。
とりあえず、プロデュースや営業、広報的なことはともかく、開発現場における実務はあらかた何らかの形では経験したので、「まったくできないこと」はないと言っていい個体になった。
圧倒的に飛び抜けたパラメータはなくとも、その総合成績ではそうそう負けない。
だったら今一度、ゲームデザインにこそ取り組むべき。
問題は「それをやる場を作る」仕事。
優れた人材を活かすには、相応の場がいる。
僕が目指すのは、優れた人材自らがその場を作ること。
ただ、それは結局、強力なパトロンを見つけるとか、自らが中心となって新たな組織を起こすという選択ということにしかならない。
これはジレンマだが、覚悟の不足とも言える。
で、そうなると、「えー、覚悟すんのー?」と思えてしまう。
その程度にはゲーム事業の先が見えないのは確か。
最初に戻る。脱却の機はどこだ。


○髪を切る&染める
これは数日中に。
若いうちにロン毛を経験するというプランもあったが、さほど長くなくても肌が荒れがちなのと、「たぶん似合わねえ」という予想からそれはやめた。
「父方のじいさん程度に白髪になったらロン毛にする」をプラン・ザ・ネクストとする。


○肉体改造
不摂生と怠惰を許すな。自戒と自律を。
とはいえ、週1の1時間程度のジョギングだけでは無理がある。
毎朝やるような習慣化が必要か。
うーん、何か目標が欲しいけど、マラソンは違うんだよなー。
やっぱバスケとかサッカーとかテニスとか、なんかそういうのだよなー。


○執筆
とりあえず何かしらやる。女子はこう細切れにやるには難しいものがあるやも。



自分のキーボードの話。

キーボードについた脂色の濃さを見比べてみると、よく使うキーがわかる。

A,E,I,O,Uあたりはローマ字入力の日本人のみならず全世界的によく使うだろうから当然だし、SpaceやEnterも同様だ。あとはBackspaceとか。CtrlやShiftも、使いこなしている人は多いだろう。
僕のキーで特徴的だと言えそうなのは、「K」「T」「Alt」「↑」「↓」あたりがそれらと同等に濃いめなこと。
KとTはカ行とタ行の子音であることと、Ketaroだからだろう。
どうやら俺様は自分のことをガンガン呼んでいるらしい。
Altや↑↓が多いのは、間違いなくキーボードオペレーションが多いせい。
僕は通例アプリケーション上部に表示されるツールバーの操作にしろ、ファイルの選択にしろ、ブラウジングにしろ、大抵のことをキーボードで行なう。マウスは、それでしかできないことやそれを使った方が早いケースの場合に使う感じ。
専門学校に通っている頃から、効率アップを考えていたら自然とそうなっていった。
この脂汚れは、僕の体得し習慣化した技術の表れだと言っていいだろう。

何事も続けると最適化していく。
みんなの道具は、どんな感じに汚れているだろうか。



ご無沙汰ですがあたかも毎日書いていたかのような体で。

芯の通ったものを作らないといけねーなあと思う日々である。
芯とは軸である。ワタアメの割り箸のように、甘いふわふわはそこを頼りにまとわりつく。
芯とは柱である。ポールダンサーがどんなに過激な動きをしたとしても折れることなく倒れることなく、演者を演技にのみ集中させる。

僕は集団の芯であるべきなので、親しさとブレなさと心強さと。

みたいなことと、コンテキストに頼るモノの育て方を改めなければいけないなという認識。
もっとプリミティブな、即物的なものが、原義には必要なのだ。
つまり、「うおー、かっけー!」「きゃー、かわいー!」を真摯に扱うことが根っこにはあるべきだろうという話。
ただしそれはディレクターの役割で、プロデューサーはむしろ包括的であるべきなので、このあたりは職能の取り方によるだろうとも。

ていう自己完結。
この内容を掘り下げて書こうとすると、ブログの記事一つではまかなえないような、かなりの労力を要することになりそうだし。



体格について、太っているのがいい、細いのがいいという談義が周辺でいくつか聞かれたので。

僕自身の好みは「どちらかといえばやせ気味くらいのがいい」というものであることは間違いない。
ただ、厳密に言うとわりとどっちでもいい。
パッと見で想像される触感より、その姿になるに至った経緯や意味にこそ関心がゆくのが理由なんだが、そうじゃない人が多いのだろうか。

僕にとってはけっこう不思議なことで、「『だらしなく』太い」とか「『不健康に』細い』」とかいうのが嫌悪感につながったり、体質の問題で「肉づきが良く豊満である」とか「鍛えていてスレンダーである」とかは尊んだりするだろう。(好みの問題は置いておいて)

暗い表情の人がいたらなぜそうなるに至ったのかがその人の生活であるし、朗らかな人がいたらその秘訣教えてちょうだいよってなもんだろう。

もちろん、雑談の中での言葉であるから、彼・彼女らの言う「太い」「細い」は、字面にないだけでそういうバックボーンが言い含まれているのだろうが、たまにそうではない「好みの論理武装」を見かけるので、そういう輩はめんどくさいなーと感じる。
僕もそうなりがちな傾向にあるとは思うので、人のふりみて我がふり荒療治。

余談だが、脂肪の増長が有頂天。



現代がストレス社会であるなら。
それを乗り切るためには、自浄作用を獲得するしかない。
我々は、それなら相応に進化するしかない。

「ストレス」に対して効果的なものはなんだろう。
ベストアンサーは相反する「リラックス」ということになるだろうか。
癒しの重要性が叫ばれるようになって、いつの間にやら久しい。
しかし、いくら癒せど「ストレス」からの脱却には誰も成功していないのではないか。

それは「リラックス」が「ストレス」に対しての万能薬ではないからだと思っている。
「リラックス」するということは、実は対処療法的で、問題そのものに対処しているわけではないからだろう。
風邪をひいて口にする解熱剤みたいなもの。氷枕みたいなもの。熱さまシートみたいなもの。
有事には必要だろうが、ともするとそれは気休めに終始してしまう。

かといって、「ストレス」の発生源自体を叩くのは中々難しい。
それは個人の力だけでどうにかならない場合がとても多いだろう。

しかし対策がないわけではないと思う。
襲いかかる「ストレス」を、迎撃できればいいわけだ。
僕の思う、迫る「ストレス」を打ち破る最強の一手は、「ストレス」だ。
他ならない「ストレス」そのものこそが、カウンターアタックを決めてくれる。
さらにしんどい思いをしろ、ということではない。
緊張や圧迫に対抗するには、それをはねのけるだけの剛性だって、強力な回答の一つだろう。
それは「自律の力」だ。
攻撃的な言葉を選んで使ったが、迎撃でなくてもいい。仲良くやっていくのでもいい。懐柔するのでもいい。
要は、こちらは免疫機能的だと言えるのではないか。

患ってしまった病には治療を行なうしかないが、ちょっとやそっとじゃへこたれない体作りこそ、最終的に手に入れたい「健康」のための布石だ。
他人の目から見てわかる「自律の力」は、往々にして「信念」と呼ばれている。
「リラックス」と「ストレス」を、必要な時に必要な分だけ自ら作り出す能力を備えた人は潔く、健やかに見える。
その2つを同時に成立させた時、人は「芯」を手に入れる。
いつか訪れる外敵に対抗するために「自律の力」を鍛え、「芯」を削りだす。
そうやって育っていくんだ。

一見違う話のように見えるかもしれないが、実はこれはReaperのまとう話。



昨日12日、Creature Creatureのライブに行ってきた。初。
Morrieはひょっとすると崇敬や敬愛の念が、ある意味で一番強いミュージシャンかもしれないとは常々感じていたところなんだけど、確信めいた。
いわゆるMCはほとんどなく、シャウトなどを除くと、「ラスト、ノンストップでいきます」、「(アンコール後、自らの名前をコールさせるパフォーマンスで声が小さかったので)最後くらいキメてくれんかな」のほぼ二言と、最後の最後で地震に絡めた「諸行無常的現在の永遠性」について語ったくらい。
あとは終始、アンコールの幕間以外に大した休憩等もなし。
淡々とクールに熱情を、徹底したスタイルで圧巻の貫禄をもって見せつけてくれた。

ところで、同行した奴が上記の「諸行無常的現在の永遠性」(この言葉自体は僕の思いつき)についてイマイチつかみきれなかったと言っていたので、もう少しだけ掘り下げる。

「現在」が完了すると、それは過去になる。
そしてその瞬間に「現在」は「定着」するのだ。
うつろわなくなる。
記憶の不明瞭さや揺らぎでその存在は立ち位置を危うくするのみ。
こうして連綿と永劫は誕生し続けていく。

ってなことでいいんじゃないか。

同化を願う存在とは違うが、体外でいつまでもあってほしい存在。



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