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けたろうさんのことがそれとなくわかるところ
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 俺様の属性を考える。

男女:「女」分が歳をとるごとに抜けていく「男」
文理:「文」の気分はけっこうわかるつもりの「理」
朝昼夜:迷うことなく「夜」
喜怒哀楽:間違いなく「怒」
風林火山:悩んだ上で「林」
木火土金水:難しいなーと思いつつ「火」
陰陽:案外「陽」
水土大気火:ポッと出的に「火」

これくらいにしておこう。
合っているかどうかは大した問題じゃない感。
焦点を合わせるべきは、なぜこうした倫理が存在するのかを考慮しつつ該当すると判断した理由にズバリ。
思考実験的なもので、カテゴライズをする時に自分の中に生じる反発とか込みで考えると面白くなってくる。

地震の話題はねー、起きた当時自分がどうしたかメモを残そうかと思ったけど、それくらい。
そりゃ多少なりとビビるし、震災直撃の方々に思いを馳せもするけど、こちとら五体満足で衣食住もほぼ安定してるんだし、平常運転するしかないじゃない。
東北の分まで経済支えとくよってなもんさね。
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先日の記事、どう見ても「つづき」以降で力尽きている。あいやー。

気を取り直し、目先を変えたゲームの話。
自分のあてにならないところを列挙。

●ハマリやすさ
よほどつまらないと感じない限り、買ったゲームはわりとやってしまう。
貧乏性なのが大きいと思う。
なので、僕がハマルかどうかは基準にしにくい。

●3D酔い
カメラをグリグリ回すなど、一般に酔いやすいと言われることをしてもあまり酔ったことがない。
なので、僕は3D酔い云々の観点ではカメラの良し悪しを決められない。

●操作性
少々妙な操作方法を要求されても全然平気。
物理的に変な操作はむしろ好きになる要因とすらなりえる。
親指と人差し指の2本で同時に4ボタンを押し分けるとか、全然アリ。
でも、これは変態以外の何者でもない。
※ただし、素早く正確な操作をするのはそんなに得意とは言えないので、単純に物理的な指の使い方だと思ってください。

●難易度
僕ちゃんはおつむのデキが大変によろしいので、ルールの掌握速度に秀でている。
なので、ルールをおさえた後に待っている楽しさまで比較的早く到達してしまう。
要するに、「敷居が高い」とされるゲームが僕にとっては「そうでもない」と思えることはままある。
※あくまで理屈の上でのことなので、実際にやって「強い」「上手い」かどうかはまた別の問題。
とはいえ、速度をそれほど要求されないゲームなら、総じて平均以上に強くて上手いと言っていいと思う。

といったところ。
この辺のところは作る時には特に気をつけないといけないのだが、なかなか難しい。
難しいが、この程度のことで悩むようじゃどうしようもねーなー、とも思う。



人が何かをするためには「心技体」が必要だ。

心は技体を通して出力される。
技は心体を形にする。
体は心技を生む礎となる。

その仕組みに例外はない。


……というのが僕にとって最も基礎的な観念。


「実現」にあたって欠かせないものの話をする。
成功例より失敗例のが説明しやすいのでそっちで。
出力する「心」が間違っているか、形にした「技」が拙いか、礎となる「体」が頼りないか。
失敗してしまう時というのは、いずれかの条件に触れている時だ。
体調が悪かったり鍛え方が足りなかったりするとロクなものができないし、
技術が足りないと不細工だったり型崩れしたりする粗悪品ができあがるし、
心根が腐っていたり独りよがりだったりすると誰にも響かなかったりする。

「創作」という単語を使わなくなって久しい。
10年くらい前の僕はそういう類の言葉をそれなりの頻度で使っていたと記憶している。
言わなくなったのは、たぶんそれを口にすることに意味がなくなったからだと思う。
どれがどれくらい自分に備わっているのか、足りていなければどうやって補うか、出っ張っているところをいかに使いこなすか……そんなことばかりを考えているのが、「プロ」という奴だと思っている。
僕はビデオゲーム開発のプロということになるが、そういう思考をビデオゲーム開発に対して向けるのが僕らの日常だ。
別に特定の業種だの学生だの主婦だのに限ったことではない。
そうした思考は必要な条件でしかなく、それをやっているからといって優れたプロというわけではないが、すべての営みはそういうもんだと思う。
僕の場合、いずれもそれなり以上で、まだまだだ。
偏差値60ちょいとかじゃないかと自己評価。

でもねえ、これは個人力の話なんである。




ほんとはお金にまつわることをつらつら書こうかと思っていたのだが、思うままに書くとウェブログ化するべきでないことになりそうなので、簡単に書くと決めた。
業界話がどんなに面白くても、ゲームが面白くなるわけじゃねえしよう。

以下の話の結論。
「ユーザーの皆さん、くれぐれもダマされないでね」。

1億かけて作ったものと10億かけて作られたものが同じ価格で提供されている事実がある。
しかしそんなことは、それなりの鑑定眼がなければわかりっこない。
敢えて悪く言うと、「節穴の消費者に贋作を掴ませる」商売が、成立してしまっている。

もちろん、製作に要したコストと販売価格がいつだってキレイに比例するわけではない。
1億のソフトが2億のソフトに肉薄することはある。
でも、開発者や製作者、販売者もそれを飯の種にしていて馬鹿ではない。
経費の差はそのまま地力の差になることがほとんどだ。
どうしたって商品の質に表れる。
だから、1億のソフトが2億のソフトに迫ることはあっても、上回る例はまあそうそうないと言っていい。
「販売価格」と「製作コスト=品質」との差を埋めるのは、「ユーザーが気に留めない」か、「ユーザーがわかっていても良しとするか」になってしまう。
「ユーザーの価値観次第だ」という言い方で片付けるのは簡単だが、「ユーザーに責任を丸投げしている」とも言える。

生活になくてもいいビデオゲームの価値など、他以上に相対的なものだから、その形式自体が間違っているとは思わない。
ただ、「この価格、この内容で了解してもらえるなら」という注釈が常に寄り添っていることはどうか自覚していてほしいなあと思う。(買い物ってそういうもんだ、と言えばそうなのだが)

ゲームの中身に対する非難も応援もわりとありがたく受け止めるけど、商売の形態の部分は一開発者にはどうにもしようがない部分がある。
販売形態や価格の部分を責められても「はい、そうですね」というのが本音だ。
ほんとはこういうことを言うのはよかないよなーとは思う。
そういう取り巻きに対する了解も含めて業界に身を置いているつもりだから、こういうこと言っちゃうのは反則だしかっこわるいなーと思う。
でも、損をしてほしいとはこれっぽっちも思っていないし、できればそういう損得を抜きにして楽しんでもらいたい。
身銭を切って、実生活の大事な時間を使ってゲームに触れるのだから、せめて遊んでいる間はそんなつまらないものからは離脱してほしいと思っている。
力の至らなさも多々あって、なかなかそうならない。
せいぜい、達成できている部分を達成感に転化して、次はもっとマシにするくらいしか。

次回は「じゃあなんでゲーム開発に居座るか」について。



 自分の開発タイトルが攻略されていく様を、じっくりと眺めている。
要するに2ちゃんねるだったり個人のブログだったりを覗いてみているのであるが、こういう感覚をはっきり持ったのは今回が初めてかもしれない。
それは単純な購入ユーザー数の差と、その中でインターネット上に言葉などを残す人の比率が、今までで一番高かったということだと思う。ありがたい話である。

しかし、その攻略されていく様というのは、なんともはや面白くもあり恐ろしくもある。
「へー、そういう見方もあるのかー」という発見は、ほとんどない。9割8分は予想の範囲内のことばかりだ。予想は計算と言い換えてもいい。仕様設計というのは想定と検証を繰り返す作業なので、その精度がないとしたらそれは「設計できていない」ことを証明したも同然。合っているのは当然だ。残りの部分は想定の甘さ故だったり、ユーザーの閃きが乗っかった神懸りの奇跡みたいなもんだったりの、どちらかである(※1)。
そんなわけなので、「面白い」と感じるのは驚きによるものではない。「んー、予想通り」としたり顔・ドヤ顔を思わず浮かべてほくそ笑んでしまうような、悪戯心が満たされた気分によるものだ。
一方の恐ろしさが、恐ろしい。「捕食されている最中はこんなかな」という気分だ。
僕は世界の誰よりも、開発したアプリケーションの質や量がどんなものかを知っている。だから、いつそれが「食い尽くされるか」がそれなりの精度でわかってしまう。例えば肉食の獰猛な魚のいる池に足を垂らしておいて、その魚が足の肉を少しずつかじりとっていくような。いつ自分のふくらはぎがなくなり、骨がさらされ、骨すら噛み砕かれるか。そういう感じである。自分の育てた野菜を目の前で丸かじりの後ひと呑みで食された、という喩えよりはそっちのが近い。
こればっかりは、彼らの消費の速度には、想定していても驚愕する。

食えるもんなら食ってみろ、そんなに小さくはないぞ!(もしくは柔らかくはないぞ!)と粋がりたいところだが、人様の財布でそれをやるのはけっこう気が引ける。なので、そういうやり方は機を得るまではしない。せいぜい、自分が消耗し過ぎないようにワガママをこっそり注入する程度にしておく(※2)。

つまるところ、僕の初ディレクタータイトルは順調に貪られているようです。
しかし、それもそんなに先までは持たない様相です。あとは、想定にない「ユーザーの思わぬ愛情」を期待してみるくらい。
そういうもんです。


※1 アプリケーションの懐が深く、かつユーザーに熱心さがないと、その奇跡は起きないものだと思う。んで、僕にはその体験は今のところない。
※2 ワガママとニーズが一致する時は、当然その限りではない。くらえ!!! ってなもんである。



2年間を共にしたプログラマーが今日で最後の出社となった。

最初の1年(=前回のプロジェクト)は同じチームだったものの、接点はさほど多くはなかった。
次の1年は、まさに二人三脚。
直前のタイトルは僕と彼の2人が相当な部分を担っており、僕と彼の作った基盤に他の人たちが様々な要素を積んでいった、と表現しても間違っていない。(そんな簡単な表現で済ませられることではないと思いつつ)
それゆえの問題もあったし、しがらみやトラブルの雨あられを受けて基盤の弱さが露呈した部分も多々ある。
だけど、彼は持ち前の静かな負けん気や高い対応力で責務を完遂してくれた。
僕にしては珍しく、自覚的に人を頼りにしていた。
僕らが対面していた問題などユーザーには関係ないから、これは単に僕の思い出話だ。

多くを語りたがらず、個人的な付き合いにはまったく応じてくれない仙人のようなヤツ。
一緒に退社し、会社のビルを出たところで最後の立ち話。
元々おしゃべりをし合うことも多くはなかったから、話もそこそこに、照れ臭いので適当に手を振って別れた。

今生の別れかもしれない、別れとなった。



検索で何か引っかかっても困るので、はっきりとは申しませんが、本日開発タイトルが発売とあいなりました。
色々と思うところあるんですが、少し時間が経って、ほとぼりがさめてから話をしようかと思います。
でもこれだけは言っちゃう。cubesatoくん、おつかれさまでした。
また一緒に仕事しよう。



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